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通勤路、すっかりコスモスの背丈が高くなり、花が咲きそろっているなあ、と思った。
山口百恵が歌った「秋桜」(コスモス)という歌を思い出していたら、偶然、ラジオからその曲が流れて来た。
うす紅のコスモスが 秋の日の
何気ない陽だまりに 揺れている
この頃 涙もろくなった母が
庭先でひとつ 咳をする
で始まるこの歌は、翌日結婚する娘と母親の、結婚前の最後のふれあいを描いた、さだまさし作詞・作曲の佳曲である。
この歌が非常に支持されたのは、ここまで育ててくれた母への感謝の思いと、大切な娘を嫁に送る母の切ない思いの両方が、非常によく描かれているからだろうと思う。
2番では、
あれこれと思い出を たどったら
いつの日も一人では なかったと
今さらながら わがままな私に
唇かんでいます
明日への荷造りに 手を借りて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度も 繰り返す母
と、歌われている。
ふと、現代では、結婚前に母娘の会話やふれあいがここまでには至らないのではないかな、と考える。
この歌が、ヒットした昭和50年代の前半なら、結婚するということは、嫁ぐということだった。
「嫁ぐ」という言葉の意味は、単に結婚するということより、もっと重さがあったと思うのだ。
いったん結婚したら、簡単には自分の生まれ育った家には帰って来られない。母にも会えない。
女性が結婚して家を出るということは、今までの自分を捨てて、違う家のモノになる、という感覚があったのだった。
だから、同じ1970年代にヒットした「花嫁」(はしだのりひことクライマックス歌;北山修作詞)では、
花嫁は 夜汽車に乗って 嫁いでいくの
で始まるこの歌は、1番では、
帰れない 何があっても 心に誓うの
2番では、
何もかも捨てた花嫁 夜汽車に乗って
という表現で終わるのだ。
この覚悟が、この時代の結婚には、まだ必要だったのだ。
今は、それと比べると、結婚が軽くなっている気がする。
うまくいかなかったら、別れて帰ってくればいいさ、というのは、今の時代は確かにその通りだと思う。
30年以上前は、少しはそれも仕方がないよいう感じがあったけれども、ちょっとやそっとじゃ別れてはいけないよ、帰ってきたら親のメンツも丸つぶれだよ、それをしたら人の道を外れているよ、くらいの重いしばりがあったように思うのだ。
ありがとうの言葉を かみしめながら
生きてみます 私なりに
こんな小春日和の おだやかな日は
もう少し あなたの
子どもでいさせてください
と歌って終わる「秋桜」。
かつては、山口百恵の歌だから、さだまさしの作った歌だから、というような好き嫌いがあった。
が、時間がたって、この歌を聴くと、情景だけでなく心情までが浮かぶようになった。今は本当によい歌だと思えてくる。
それも、母親側の心情に近い思いなのである。
うん。
それにしても、コスモスが美しい季節である。
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