短期記憶が残らない娘の周囲には、独特の時間が流れている、と思う。
テーブル上にはデジタル置時計があるので、何時なのか、そして何月何日なのかはわかる。
ただ、曜日がわからないので、ベッドの脇の柵に小さなひと月分のカレンダーを下げておいた。
娘の具合がよければ、時計で日時を確認し、その後カレンダーで曜日を確認できる。
だが、日頃テレビを見たがらないので、世の中にどんなことが起こっているのかも分かっていない。
ソチ冬季五輪が始まったことも、もちろんわからなかった。
先日、夕食後テレビをつけて見せた。
画面は、ソチ五輪の開会式を映し出していた。
華やかな開会式の映像を見ながら、娘は涙を流していた。
「この4年間、わたしは何をしていたんだろう。」
そんなことを言いながら、最近の記憶がないことをも嘆いていた。
本人がケータイがないことを嘆いているが、先日病室で、娘に私のケータイを貸して、知り合いの人のところへメールを打たせてみた。
簡単な文を打たせようとしたのだが、なかなか思い通りにはいかなかった。
例えば、「お」を打つときには、「あ」を5回押さないと、「お」にはならない。
そこを手早く押せないのだ。
「お」を表示するはずが、「うああ」などになってしまったりした。
何度も間違いながら、簡単な一文を打つだけでも、やっとだった。
病気になる以前は、指先など見なくても手早くメールを打っていた娘だったのに。
「無理!」
そう言って、ベッドに仰向けになった。
この様子から、やはり素早い動きはできないのだとわかった。
運動能力がまだまだ回復していないことが分かった。
この病院でインフルエンザ予防策が実施されてからというもの、1日1家族1人1回だけという厳しい制限なので、娘に会うことが毎日はできなくなっている。
今日会ったのも、久々の気がした。
今日も、ニュースやソチ五輪の番組を見せたりした。
身動きせず、じっと見ていた娘だった。
今日の日付を確認させて、「明後日は何の日だったっけ?」と尋ねると、しばらく考えていた。
その様子を見て、「ばあちゃんの…」と助け舟を出すと、「…命日。」としっかり思い出せる娘だった。
「あれから、9年もたつんだね。」
と、私が言うと、しばらくは静かにしていた娘が、うるうるしてきているのがわかった。
娘は、自分で涙をぬぐいながら、「ばあちゃんのことは、いまだに、私、ダメなんだ。」と言っていた。
ダメというのは、悲しくなって冷静でいられなくなる、という意味だ。
9年もたっているが、親しい人を亡くす悲しみはちゃんと覚えている娘。
ばあちゃん思いだった娘の涙する姿に、ちょっぴり鼻の奥がツンとした。
昔のことは、よく覚えている。
なのに、今さっき洗顔後に化粧水をつけたばかりなのに、トイレに行って戻るともう忘れてしまっていて、また化粧水をつけたりしてしまっていた。
感情の表現などを見ると、少しずつ状態は、よくなってはいると思える。
ゆるやかにゆるやかにでもいいから、記憶が積み上がっていくことを願っている。
テーブル上にはデジタル置時計があるので、何時なのか、そして何月何日なのかはわかる。
ただ、曜日がわからないので、ベッドの脇の柵に小さなひと月分のカレンダーを下げておいた。
娘の具合がよければ、時計で日時を確認し、その後カレンダーで曜日を確認できる。
だが、日頃テレビを見たがらないので、世の中にどんなことが起こっているのかも分かっていない。
ソチ冬季五輪が始まったことも、もちろんわからなかった。
先日、夕食後テレビをつけて見せた。
画面は、ソチ五輪の開会式を映し出していた。
華やかな開会式の映像を見ながら、娘は涙を流していた。
「この4年間、わたしは何をしていたんだろう。」
そんなことを言いながら、最近の記憶がないことをも嘆いていた。
本人がケータイがないことを嘆いているが、先日病室で、娘に私のケータイを貸して、知り合いの人のところへメールを打たせてみた。
簡単な文を打たせようとしたのだが、なかなか思い通りにはいかなかった。
例えば、「お」を打つときには、「あ」を5回押さないと、「お」にはならない。
そこを手早く押せないのだ。
「お」を表示するはずが、「うああ」などになってしまったりした。
何度も間違いながら、簡単な一文を打つだけでも、やっとだった。
病気になる以前は、指先など見なくても手早くメールを打っていた娘だったのに。
「無理!」
そう言って、ベッドに仰向けになった。
この様子から、やはり素早い動きはできないのだとわかった。
運動能力がまだまだ回復していないことが分かった。
この病院でインフルエンザ予防策が実施されてからというもの、1日1家族1人1回だけという厳しい制限なので、娘に会うことが毎日はできなくなっている。
今日会ったのも、久々の気がした。
今日も、ニュースやソチ五輪の番組を見せたりした。
身動きせず、じっと見ていた娘だった。
今日の日付を確認させて、「明後日は何の日だったっけ?」と尋ねると、しばらく考えていた。
その様子を見て、「ばあちゃんの…」と助け舟を出すと、「…命日。」としっかり思い出せる娘だった。
「あれから、9年もたつんだね。」
と、私が言うと、しばらくは静かにしていた娘が、うるうるしてきているのがわかった。
娘は、自分で涙をぬぐいながら、「ばあちゃんのことは、いまだに、私、ダメなんだ。」と言っていた。
ダメというのは、悲しくなって冷静でいられなくなる、という意味だ。
9年もたっているが、親しい人を亡くす悲しみはちゃんと覚えている娘。
ばあちゃん思いだった娘の涙する姿に、ちょっぴり鼻の奥がツンとした。
昔のことは、よく覚えている。
なのに、今さっき洗顔後に化粧水をつけたばかりなのに、トイレに行って戻るともう忘れてしまっていて、また化粧水をつけたりしてしまっていた。
感情の表現などを見ると、少しずつ状態は、よくなってはいると思える。
ゆるやかにゆるやかにでもいいから、記憶が積み上がっていくことを願っている。