ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(36)

2014-02-23 22:51:26 | 生き方
大部屋に移った娘だが、症状はかんばしくない。

トイレには、矢印付きのガチャピンの写真が誘導してくれるはずなのだが、時々それも目に入らずに、違う方向に行ったりすることもある。
週に一度、胸から刺している点滴の針の辺りの処置があるのだが、その翌日不調を訴えることがある。
先週は、その処置の翌日に、発作に近いものがあったという。
その日は、トイレの後、目が一点を見たまま固まってしまって、看護師さんが二人がかりで慌てて娘をベッドまで運んできたのだそうだ。
また、同じ日、ベッド上で視点が定まらなくなり、口を半開きにしたまま、反応がなくなったことがあったそうだ。
それによって、けいれん止めのD剤は、やっと4.0になったばかりだというのに、また濃度を高く上げられてしまった。
その後濃度は下げられたものの、下げられた数値は、結構高く5.0止まりである。
そのせいか、毎日活気がなく、眠気を訴えるばかりである。
認識もしっかりせず、入院中だということも忘れたり、そうだったと認識した後も数分後に忘れてしまったりしている。

病院は、半月以上ずっとインフルエンザ予防対策として、家族の面会も「1日1家族1人1回きり」という制約を行っている。
それは、人にたくさん会って刺激を受けた方がよいと思われる娘には、とてもよくない措置だと考えている。
人に会わないと、娘がしゃんとする時間が少ないのである。
会って話をしていると、こちらの言うことがわかって、涙を流すことも多い。
少し調子が良いと、「私、若年性認知症だね。」などとも言えるのだが、様々なことが記憶として定着しない。
入院していることも、入院している病院がどこかということも、今自分が顔に乳液を塗ったことも、携帯電話を家に置いてあることも、一瞬にして忘れてしまい、また同じことを聞いたりしたりすることが繰り返される。

いつになったら、まともに記憶が積み重なってくれるのだろうか…と思う。
医師は、このままということはない、と言うのだが、半年以上も同じことを繰り返しているのを見るのは、家族にとって、とても心が痛むことなのである。
でも、家族として嘆いてばかりではいられない。
しっかり娘を支えたいと思うのだが、時には回復しているという実感もほしくなる。

新潟では、雪は相変わらず毎日降っている。
でも、降りながらもとけていく方が多い。
春の近づきは、しみじみと感じる毎日なのだが…。

コメント
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