ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「コ+ロ+ナ=君」の優しさをもって、新しい年を生きていこう

2020-12-31 19:50:33 | 生き方
もうすぐ、あと数時間で2020年が暮れていく。

この1年は、COVID-19 感染症のせいで、オリンピックが開催できないなど、明るい話題の少ない年となった。
この感染症、WHOや欧米では、「COVID-19 」と呼んでいるから、私もそう呼んでいる。
「新型コロナウイルス感染症」という呼び方もある。
日本の呼び方では、その方が正しいのかもしれない。
だが、私は、その呼び名はあまり使いたくないので、いつも「COVID-19 感染症」と書いている。

その名を使いたくない理由は、多くの人が、「新型コロナウイルス感染症」という正式名称を使わずに、よく「コロナ禍」とか「コロナのせいで」と話をしている。
感染症を憎む気持ちはわかるが、もともとの「コロナ」は、ウイルスの名前ではない。
「コロナ」は、本来はラテン語から、またはギリシャ語やスペイン語、イタリア語などの「王冠」や「太陽のまわりの光の輪」を意味している。
だから、明るいイメージがある。
欧米では、人名にもあったそうだ。

日本では、新潟県に「CORONA」(コロナ)という会社がある。
石油ファンヒーターや石油ストーブ、給湯機、エアコン、美容機器などを取り扱う、立派な総合住宅設備メーカーである。
それなのに、その名前がついているだけで、避けたり毛嫌いしたり悪態をついてきたりする人もいるそうだ。

今年の6月に、その株式会社コロナの社長名で、地元紙新潟日報に、1ページを使って、
「コロナではたらくかぞくをもつ、キミへ」という全面広告が載ったことがあった。


先日、新潟日報で、改めてその時のことを取り上げた記事が掲載された。


社名だけでいわれのない偏見や差別を受けて苦しむ社員の家族、特に子どもにあてたその文章は大きな反響を呼んだ。

もともと「コロナ」と呼ぶことに抵抗のあった私は、そこから完全にその名称を使わずに「COVID-19 感染症」と表記しようと決め、現在に至っている。

偏見や差別は、それを受けている人-被害者-しか痛みが分からない。
加害者や偏見や差別を見過ごす人たちは、その痛みが想像できない。
だから、肉体的、精神的に傷つけていることが日常的に起こっている。
私は、「ひょっとすると、自分も差別しているかもしれない」と自戒しながら生活することが必要だと考えている。
記事にも書いてあったが、心の傷は見えにくい。

件のコロナ社の社長の全面広告が掲載された後、たくさんの賛同や激励の反響があったそうだ。
その激励の中には、
コロナと言う字を組み立てて 君のやさしさ思い出す日々
という歌を寄せた人もいたと、新聞記事に紹介されていた。



とてもうまい表現だと思う。
誰が考えたのか分からないが、よく考えついたものだ。
「コ+ロ+ナ=君」の優しさをもって、近づけなくても、ぬくもりある接し方ができるようでありたい。

人間は、ほかの人に認められないと、孤独感を感じる生き物である。
それなのに、ほかの人と会うことをつつしむように求められるこの感染症。
それでも人間らしい気持ちをもって生きていられるかどうかが、このパンデミックで問われているように思うのだ。

今日の大みそかには、新規感染者が東京で初めて1000人を超え、1337人になったというだけでなく、全国でも初めて4000人を超え、4515人であったとの報道があった。

来たる新しい年は、人類がこのパンデミックを乗り越え、人に優しい世の中になってほしいと心から祈っている。

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