ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

母校を訪ねてきた若者たち

2017-03-25 22:18:42 | 「育」業
卒業式前日、先日成人式を終えたばかりの、私の勤務先を母校とする20歳のOB・OG4人が、訪ねてくれた。
私が教頭時代、彼らが3年生の時までこの小学校に勤務していたのだった。
成人式を終え、何かの話から、当時教頭だった私が、今度は母校の校長をしていると聞いて(それも3月いっぱいまでだと聞いて)、行ってみようということになったようだ。
前日に一応アポをとって、昨夕訪ねてきた。
「誰だかわかりますか?」と言われても、当然分からない。
当たり前だ。小学校3年生以来の11年ぶりの再会なのだから。
おまけに、彼らとは、1・2年生時に週に1回書写の指導をしただけだったのだから。(自己弁護)
それでも、名前を聞くと、電話をかけてきた女の子(成人したのだから女性と言うべきか?)のほかに、1名の男子(男性)のことは、思い出した。
名前の漢字2文字が、なかなか凝った読み方をする名前だったからだ。
高校では別れたが、4人とも、今は関東の別々の大学に通っているとのことだった。

最初は、必然的に小学校時代の話、しかも私が知っている低学年時代の話になった。
その頃の担任の女の先生が怖くて厳しかったことの話になると、一番静かにしていた女性が、一番よく話していた男の子に言った。
「あなたのせいで、私は、生涯たった一度の廊下に立たされた経験をしてしまったのだから。」
「えー、うそぉ。」
「おしゃべりなあなたが、後ろを向いて話しかけてくるから、仕方なしに聞いてあげてたのに、先生から、『そこの2人、うるさいから、教室の後ろに立っていなさい。』って言われて。
教室の後ろに立ったけど、またあなたがこりずにぺちゃくちゃ話しかけてきたら、ついに先生は、『廊下に立っていなさい!』ですもん。とばっちりをくらってしまって、人生一度の廊下に立たされる経験をしてしまったのよ。」
「へえー、ごめんなさい。おぼえてないよ、オレ。(笑)」
「ずいぶん決めつけが強い先生だったからね。」
「あの先生が今もここにいるのなら、オレ来たりしないよぉ。」
…なるほどねえ。熱心な先生でも、決めつけが強い人は、やはり嫌われてしまうようだ。

いろいろ話をした後、校舎内を回ると、非常に懐かしがっていた。
「私の暮らした、6年の教室がない!」
聞けば、改築工事でなくなってしまった教室が、その子の6年2組としての教室だったようだ。
「校舎が広くなって、別の学校みたいだね。」
「グラウンドの、あの正面の木の下やベンチの下に、タイムカプセルが埋めてあるのです。30年後、そして50歳になったら開けることになっています。」
…そんなことは、きちんと語り継いでいかないといけないな。
 
校舎内を回りながら、各教室で、彼らは思い出話を盛んに交わしていた。
「ヤバイ、ヤバイ」を連発しながら、それがすごく楽しそうだった。
そういう彼らの姿を見て思ったた。
ああ、ここは、彼らにとってかけがえのない母校なのだなあ、と。
私たち教員にとっては、職場、勤務先でしかないのだけれど、彼らにとっては、ほかにない大切な小学校なのだ、と。
そんな大切な学校を、いつまでも懐かしく、誇りに思えるような学校にしてあげたいな、と。
そういう思いにさせてくれた彼らに感謝したいと思った。
まだ大学生2年生だと言う彼らの若さが、うらやましく思えもした。

単なる教頭-低学年児の付き合いでしかなかった私と彼らの関係。1,2年生の時に書写を週に1時間もっていただけの私を訪ねてくれた心の中には、「この小学校が大好きだ」というものがあったからであろう。


こうして、脈々と生き続ける学校の“絆”…。
翌日、卒業していった6年生たちにとっても、きっと「かけがえのない母校」となることだろう。
すばらしい職員たちが、子どもたちの母校を、いっそうかけがえのないものとして、輝かせてくれているのだ。
いつでも帰って来られる「心のふるさと」の学校でありたいものだ。
今年の職員集団の働きなら、きっとそうなるよなあ、と確信した。

定年退職の日が近づくが、よい学校づくりができた、という満足感が広がっている。
コメント
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