あと少しで、真暗になろうかという時、西の空、
” 月冴えて ” というにはちょっと細いのですが、
冬空にキラリ、お月さんが見えました。
そんな夜、金曜ロードショー『マリと子犬の物語』を見て、
泣いてしまいました。
また、映画の途中、ニュース速報で伊豆半島の地震を伝えるのは、
余りにもリアルすぎて、深刻な気持ちになりました。
1995年1月17日 午前5時46分 阪神淡路大震災がありました。
この時私は、京都に住んでいて、生まれて初めて
「震度5」 を体験しました。
飛び起きるほどの驚きの揺れでした。
遠くの方から『ゴゴゴゴ……』 という音が近づいてくるような、
そんな感覚のあと、グラグラーッと揺れました。
それは長く感じました。
テレビを見ていると、日を追うごとに、被害はどんどん膨らみ、
京都で、それといった被害を受けなかった私は、いたたまれず、
2月1日に、何か手伝う事が残ってないかと、兵庫県、西宮に電車で向かいました。
電車の窓から外を見ていますと、京都、大阪、兵庫と進むにつれ、
屋根にビニールシートの掛かった家が増えて行きます。
そして、壊れた家がいくつも…、
着きますと、ある中学校で、人出が足りないと張り紙があり、
そこへ向かいましたが、ビルは大きく傾き、
歩道には、至る所に、がれきが散らばり、歩くのもままならない状態でした。
節分だからと、大量のいわしの差し入れがあり、それを、煮付けるので、
さばいてほしいとのことで、手さばきでどれくらいさばいたかなあ~?
水道が出ないので、充分に手の洗えないまま、たき火で煙の臭いや
灰が頭についたまま、帰ることになりましたが、
2時間、代替バス待ちの列に並び、満員のバスや電車に乗っても、
そんな、体の汚れたことなんか、全く問題ではないのでした。
乗り合わせたみんな、埃まみれになり、疲れ切った表情の人ばかり、
あの時は清潔でいるほうが、馴染まなかったでしょうね。
更に一週間ほど後に訪れましたが、少しづつですが立ち直ってきていました。
防災用品の備えの重要さがよく言われますが、あの時私が思ったのは、
「どんなに用意しておいても、グラッときたらもうお終い、
何の役にも立たない」 なんて開き直ってました。(^_^;)
” 天災は忘れたころにやって来る ”
いえ、忘れなくてもやって来ます。
人とはなんと無力なものなのでしょうか。