現代では自動車による陸運、それに加えて空輸が主流ですが、
でも幕末の日本では、「水運」 が大きな役割を果たしていたのですよね。
龍馬も、船とは切っても切れない縁です。 「龍馬伝」でも
一番初めに土佐から江戸へ剣術修行に行く時も、
土佐の桂浜からまず、小さな和船に乗って旅立っていきました。
それから、外国に行きたくて黒船で密航しようとした吉田松陰の乗ってた
船も、
目指す、黒船は
龍馬の目が外国に向くきっかけとなった時でしょうか。
神戸海軍操練所で、仲間たちと喜々として航海術などを学んでいました。
咸臨丸に乗った時の喜びようは、みんな子供の様でしたね。
でも、それも束の間のことで脱藩浪人が多く居るという事で
操練所は閉鎖されてしまい、また夢は遠のいたのでした。
この咸臨丸は、NHK大河「」龍馬伝」 で使われたものですが、
実はこれは実際に長崎で使われている観光船「観光丸」 に許可を得て
黒く塗り直し、うんと沢山のロープを張り巡らせたものだそうです。
素敵ですよね。
本当の咸臨丸は、よく見かける絵では
また、各藩の藩邸のたくさん集まっていた、木屋町の高瀬川沿いから、
こちらも薩摩藩邸がそばにあった伏見港辺りの船宿「寺田屋」
ここを繋ぐのは、高瀬川を行く、高瀬舟でした。
木屋町辺りの材木問屋「酢屋」の2階に海援隊の京都事務所を置いていたのは、
高瀬川の水運を利用し集まる要人から様々な情報を得て、
商いに役立てていたと伝わります。
川底の浅い高瀬川を行くため、平らで浅い「高瀬舟」 が行き交いました。
今「龍馬伝」 では、龍馬は薩摩と長州をなんとか手を結ばせようとしています。
正に東奔西走の龍馬ですが、益々荒波にもまれ、悩める龍馬は…、