人間五十年
是非に及ばず
ここは、京都市中京区、四条堀川から北東に入った辺りです。
ここが本能寺のあった所です。(写真は2010.5.1写しました)
かつて本能小学校があったのですが、児童数の減少により廃校となりました。
現在は、京都市立堀川高校の校舎の一部があります。
現在、残っているお寺は、信長の死後、建立されたものです。
それは、寺町御池下るにあり、元々の本能寺より北東の方角になります。
この石碑、「本能寺」 の 「能」 の字が違いますが、当時、
本能寺に火災が頻繁に起きたため、「ヒ、ヒ」 が文字の中にあるのを
忌み嫌い、石碑の様に書くのを習わしとしていたとのことです。
ここの広大な寺院を織田信長は、仮宿所としていました。
NHK大河「江」を見ますと、
躯(むくろ)をさらけ出すことのなかった、織田信長の最期は
余りにも潔いものだったのですね。
江姫は、信長に父を見、更に愛する人として見ていたような気がします。
「江」 に描かれた、信長の数々の所業の真実は、
「憎まれるのは、我一人でよい…」 と、みんなの平安のために、
天下を統一することを、切に願っていたのですね。
本心をどれだけの人が理解していたのでしょうか?
天下を治める人、人の上に立つ人は、孤独との戦いなのですね…
ここにもまた、無念の最期を遂げた人物がいた…