懐かしい楽しい再会も束の間、
あくる日の出勤を考え、明るいうちに帰途に着きました。
列車が福知山駅をあとにして間無しに、
高く組まれた石垣の上に福知山城の天守閣が
見えました。
私が居た頃は、このお城は何もありませんでした。
お城の話もあまり聞いた事もありませんでした。
初めて見る風景です。
昭和61年11月に復原された鉄筋コンクリート製の
天守が高くそびえて見えます。
天守が鎧かぶとを着けたお侍の顔に見えるのですが…
おひげが立派
築城主 明智光秀
築城年 1579(天正7年)
織田信長が豊臣秀吉と明智光秀に「中国攻め」を命じた時
光秀は「山陰道」を進軍した。
そして「丹波国」を平定して光秀が築城した。
この地は元、塩見大善が「横山城」を拠点として
治めていたが光秀が降し、平定してこの地を
「福知山」と命名し築城したもの。
福知山城には甥の「明智秀満」を城主に置き
光秀は「亀山城」を拠点とした。
このお城、天守に目を奪われがちですが
石垣にも注目したい。
「転用石」 による石垣で、石は墓石、石仏、五輪塔など
が多く用いられているのが分かる。
織田信長が、京都二条城や安土城などを築城の折
用いた方法で、光秀も信長に倣ったものと思われる。
ということですが、今回残念ながら実際には
見に行っていませんので、詳しいことは分かりません。
今度行った時は、お城を含めいろんな所を
見て周りたいと思います。
いつになるか?
自分の決心次第ですね。