第15回 足固めの儀式
頼朝の嫡男万寿のために誕生から五百日目に
「足固めの儀式」とやらが文覚を招いて執り行われました
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500日目に足固めの儀、周囲がいぶかしがっています
思い起こせば、低体重児だったうちの長男は歩くのが遅かった
一年半になろうとしていた
次男はそれよりは早かったが一年越えていた
三男は一歳の時には歩いていた
が、話の出来るのが兄達に比べ遅かった
蛇足でした、失礼しました
500日は1年と4.5か月、足固めの儀式にはやはり遅いかも
大江広元はそんな儀式はない
京でも見たことがないと言っています
同じ日に三浦氏らが鹿狩りをするという
益々怪しいと義時や大江広元は思った
鎌倉殿、坂東武者の考えは違うし二転三転するし
なかなか統率が取れないしこの先どうなるのかなあ
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三浦義澄らは、万寿を連れて行こうと邸に攻めてきた
鹿狩りは嘘だったということですね
頼朝は、しれ~っと、冷徹なことをします
上総広常を謀反人に仕立て上げ葬り去るなんて、ひどい
信じられないです
前夜には自分を打倒せんと集まった御家人たちを鎮めてくれたと
上総介を褒め酒を酌み交わしたのに
(またもやあの善次も一役担ってましたが)
梶原景時が上総介にとどめを刺そうとした時
小四郎は堪えきれずに中に割って入ろうとした
頼朝は「来ればお前も斬る」と言い放ちました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/98/51ecffe32c389872d7d66f24d2e2e91d.jpg)
上総介が慣れない筆を握り手習いまでしていたのは
頼朝の政権を確かなものにするためと
坂東の地に平穏をもたらすためだった
京にも行く用意をしていたのだった
結局遺書になってしまったが手紙が残っていた
それを見ても頼朝は心が動かない
頼朝には周りの者が皆敵に見えている
その恐怖感が膨らむほどに、正しい判断力も失せて
無差別な殺戮がどんどん激しくなっていく
狂った行動で突き進んでいく
今、あの頭領も、そうなんだろう、きっと…
坂東武者の中の最たる者であった上総介広常が
こんな目にあったのを見た他の坂東武者は
震えあがったことでしょうね
頼朝による見せしめは効いた…
そして、上総介やその残党の所領を御家人に分け与えた
これが、鎌倉殿の 【足固めの儀式】
こうして頼朝の行動のひとつひとつを見ていくと
有名な史実の「頼朝が弟の義経を討った」ということが
納得出来ます
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義経と弁慶達先発隊
真ん中の山は安土山に似てるけど…?
もちろん信長はまだ先の人で
源義仲は院御所に押し入ったことで謀反と判断されていた
後白河法皇の求めに応じた頼朝は
先軍の大将として義経を京へ送った
頼朝は兵が整わないのでまずはと先発隊だけでもと
義経を送り込んだのだった
義経はすでに近江まで来ていた
出陣直前に義高に蝉のぬけがらをプレゼントしたのは
どういう気持ちだったのですか
義高のお父さんを討つのですか
喰うか喰われるかの世ではあったけれども…
暗い話ばかりの中で、ひとつ明るい出来事がありました
上総介のことで打ちのめされた義時ですが
婚姻届けを出した(であろう)ばかりの八重が
男の子を生みました♡
初めて赤ちゃんを抱く義時
守るべきものがまたひとつ増えました
様々なことを心に誓ったことでしょう
いざ、義時