kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第38回 唐入り

2023-10-15 17:14:39 | どうする家康

 

 

どうする家康

 

なにをする秀吉

 

母にまで欲望の怪物と言わしめる程の、果てしない欲ばりになった

 

茶々との間の鶴松が病死した悲しみを埋めるつもりなのか

博多の隣の小さな漁村に名護屋城を築き

周りには、家康はじめ

前田利家、大谷吉継、伊達政宗

石田三成、直江兼続、小西行長

らの陣屋が置かれ

全国からは、160もの名立たる武将が集結した

 

唐入りを命じた秀吉

服属を拒否してきた朝鮮の都、漢城(はんそん)を

あっという間に落としたが

 

見回りの服部半蔵が島津の陣屋から持って来た情報は

決して気を許せるものではなかった

 

「藤堂高虎の水軍が朝鮮にやられた」

 

家康は、本営にいる石田三成に戦場の事実を聞く

 

実は三成は、秀吉にも皆にも事実は言ってなかったようだ

家康、聡明な三成と話し合い

秀吉に唐入りを思い留ませようと決めた

だが、秀吉の唐入りの野望は固かった

 

家康は最後の手段を出す

 

「どうしてもということであれば

この家康、腹を切りまする

殿下のお代わりは殿下しかおりませぬ」

 

 

 

なんのかんのと言っても

秀吉は家康を信頼しているというのが分かるシーンでした

 

信長と家康のやり取りから見えた間柄と

似たところがありますね

 

秀吉の母、仲が亡くなった

傍で仲を見届けた秀吉の正妻の寧々

 

「これ以上何がほしい 

この世の果てまで、この世の誰よりも

才あるお方と信じ、一緒になった…」

 

秀吉が茶々、茶々と言うのもさることながら

仲と同じく、秀吉の行く道の危うさを憂うのは当然ですよね

 

素晴らしい奥様がありながら、何してんの、秀吉!

 

秀吉が唐入りを、一旦留まったのは

意外なこの方だったかもしれない

 

元、足利義昭、出家して今は昌山

 

茶々のことで家康と秀吉が言い争っている時

お酒に有りつこうとやって来た

そして自分のことを語りだした

 

昌山「高い所にいて何もかも分かっていると思っていた

ところがほんとは霞がかかって何も分かっとら

周りが良いことしか言わんからじゃ

てっぺんはひとりぼっちじゃ

信用する者を間違えてはならんぞ」

 

文禄二年(1593)五月

 

石田三成ら朝鮮奉行たちが、民国の使者を伴い帰国

民国との和睦調整が始まる

 

しばらく、平穏な世が続く…

皆がそう思っただろう

しかし、その時茶々からの文が来、

茶々がみごもった、とのこと

 

秀吉は声高に笑う、気がふれたかのように

笑い続ける

 

この様子に、家康の顔が曇る

 

どうやらまだ、朝鮮や民国との和睦は遠いのでしょうか

 

 

 

 

ところで、秀吉のワンマン政治のなか、

家康以外に、抵抗を見せた重臣がいましたね

 

✽ 浅野長政

「正気の沙汰とは思えませぬ!」

 

ここまで秀吉に言えるなんて

どういう方だったのでしょうか

 

秀吉から重用されていたのは間違いなくて

豊臣政権末期、秀吉遺言覚書体制に基づき定められた

「五奉行」のひとりでした

 

≪≫五奉行の筆頭≪≫

 

浅野長政 司法担当   22万石

 

  前田玄以 宗教担当    5万石

 

石田三成 行政担当   19万石

 

 増田長盛  土木担当   22万石 

 

長束正家  財政担当   5万石 

 

 

余談ですが、こうして石高を見ますと

やっぱり加賀百万石は、とてつもなく大きかったのですね~

 

 

浅野長政に戻って

 

若い頃は織田信長の家臣でした

出生時は安井姓

 

のちに、織田信長の家臣の浅野長勝の養子となる

長勝は長政の母の兄だった(おじさんにあたるのですね♪)

身分の高い家に養子入りなのでした

 

浅野長勝にはふたりの養女

浅野長政はそのうちのひとり「やや」の婿に

そしてもひとりは豊臣秀吉の正室「ねね・北政所」に

すごいですね

 

 

なんかややこしいのですが、秀吉と親戚になった

ということですね

 

それで、強いことも秀吉に言えた訳ですね

 

 

当時、京の禁裏や門跡に関する問題が多く、

浅井長政の教養によって難問解決にあたったそうです

あの「太閤検地」へと繋げたのもこの人とは

 

この方、代々仕えた主君はバラエティに富んでます

と言えば失礼に当たるかな

 

織田信長

豊臣秀吉

秀頼

徳川家康

秀忠

でした

 

浅井長政と一文字違いでややこしや~

 

秀吉の天下、

ここまで駆け足で見せてもらったようですが

すでに頂点より下り始めたような

 

徳川家康

出過ぎず、隠れ過ぎず

主君のうしろにぴたーっとついて…

虎視眈々と?

 

家康の干支問題

寅年か 卯年か

なんだか近頃、諸説あるような

 

 

 

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