kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第39回太閤、 くたばる

2023-10-22 00:54:51 | どうする家康

 

 

 

大坂城で茶々が産んだ第二子は、男児

 

秀吉の喜び様は想像が付きます

 

名は「拾・ひろい」

 

子供の健康な成長を願う当時の祈願として、

赤ちゃんをいったん捨てた形にして、家臣が拾って来る

なので「拾」

 

亡くなりましたが、一番目の子の鶴松も生まれた時は

「捨・すて」でした

 

男児誕生に、秀吉は元気になりました

そして

「明国の征服は先送り」

だが

「明国の皇女を帝の妃に

朝鮮の南半分の領地はもらう」

 

こんなむちゃくちゃな和平が明国に

承諾されるわけがない

と、三成らの五奉行は途方に暮れた

 

どうするのでしょうね

秀吉は、拾の生まれたことで

元気を取り戻し、跡継ぎにと動き出しています

 

多少の落ち着きを

世の中に感じられるようになったのか

家康は、三男の「徳川秀忠」に祝言をあげさせた

まだ幼く見えましたね

のちの江戸幕府第二代将軍ですね

 

妻となったのは「江・ごう」

茶々の娘、お市の方の孫

信長の血を引くということですか

 

家康は秀忠を連れて京の

酒井左衛門督忠次、海老すくいのあの人、の所へ

 

今は七十歳、目が見えなくなって妻の登与と

静かに隠居生活をしている

 

忠次「ここまでよく耐え忍ばれましたな

よくぞのりこえて参られた」

 

德川家臣の第一人者酒井忠次

このあと亡くなりました

 

 

徳川四天王の一人であった方で

おっとりされているようで、ここぞ

という時の活躍は目を見張るものがありましたね

どうぞ、やすらかに…

 

 

 

 

 

文禄五年(1596)9月1日

明国の使節と秀吉、和議を結ぶ

 

明が受け入れることなどないと思われた約定が

通ったのだ

 

しばらくして、三成が伏見にある徳川屋敷に来た

 

太閤殿下に読み上げた国書は、偽物

小西行長と明の役人が示し合わせ偽造したもの

 

なぜなら、今は和議を結ぶことが大事と判断し

明も秀吉もどちらをも、だましたという

 

秀吉は、小西を切り、朝鮮出兵を再開すると

怒っているという

 

そら、怒りますよね

よくまあ偽の国書なんてものを

 

そして、第二次朝鮮出兵となってしまった

 

 

世の中は、秀吉への不満がどんどん大きくなった

京の治安の乱れ

朝鮮兵への残虐行為

 

耳や鼻をそぎ落とすと言ってましたが

そう言えば、京都市東山区にある

「豊国神社」と「方広寺」の近くに

「耳塚」という小さな古墳のようなのを見たことがあります

どっちが起こした行為なのかよく分かりませんでしたが

「朝鮮」「耳塚」ということばは見ました

 

この朝鮮出兵の時の事だったかもしれません

今度行く機会があれば誰かに教えてもらおう

 

 

秀吉が倒れた

元服した拾、改め、秀頼と遊んでいた時のことだった

 

三日三晩、意識が無かった

遺言をしたいと石田三成に言った

 

「わしが死んだあと、誰が天下人になる?」

 

三成「天下人は無用かと

豊臣家へ忠義と知恵のある者が話し合いで政をし

皆で秀頼様を支えます」

 

秀吉の容態は悪化の一途

家康を呼んだ

 

「ただただ、秀頼が無事で幸せに暮らせるなら

戦のことも世の安寧も

豊臣の天下すらどうでもいい

そうよ、なんもかも皆放り投げてわしはくたばる

あとは、おめえがどうにかせえ~」

 

言い方!

 

家康「情けない、この日の本めちゃくちゃにして

放り出すのか!」

 

秀吉「うまくやりなされや…」

 

慶長三年(1598)八月十八日 この世を去る

 

「天下をお取りなされ」

 

酒井左衛門督忠次の家康への最後のお願いを

家康は思い出したのでした

 

さあ、信長も秀吉も亡くなってしまいました

 

戦国の世の生き残り合戦

家康を越える人物は想像できませんが

 

豊臣政権は続きます

実務を行う大名や奉行が集まります

 

秀次が自害に追いやられた事がありましたが

その頃、政が危うくならぬようにと秀吉が定めたものが基本で

 

【五大老】

前田利家

毛利輝元

上杉景勝

宇喜田秀家

徳川家康

 

【五奉行】

石田三成

前田玄以

浅野長政

増田長盛

長束正家

 

全員合わせて「十人衆」

秀吉の遺言、どんなのがあったのか?

それを実現するために、ひとつとなり…

 

と、石田三成は元気いっぱい

十人衆は協力的なんでしょうか

 

 

 

以前、長浜に行った時駅前に三成君

旗印は

 

 

大一大万大吉

万民が一人のために、一人が万民のために尽くす

 

オールフォーワン ワンフォーオールですか?

 

近江の佐和山城の城主だった

 

関ケ原の合戦、辛いなあ…

 

 

 

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