七里の渡しは、鎌倉時代には既に「古渡(ふるわたり)」と呼ばれて存在しており、慶長六年(1601年)に徳川家康が宿駅制度を定めたとき、唯一の海路として東海道の正式ルートになりました。
しかし、湾に注ぐ揖斐川、長良川、木曽川からの流砂などのため水深が浅く、干潮時には沖合いを通るため十里の航程となり、また時代が下るにつれて沿岸が埋め立てられたので、ルートは一定していなかったようです。
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- 嵐悳江(あらし とくえ)──手猿樂師にして、傳統藝能創造家にして、鐵道愛好家にして、古道探訪者にして、文筆家氣取り。
雅号は「李圜(りかん)」。
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