ラジオ放送の、觀世流「鐵輪(かなわ)」を聴く。
自分を棄てて後妻を入れた元夫を、後妻もろとも呪殺せんがため惡鬼と化した先妻女の、根深き怨念譚。
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──が、陰鬱に響く謠ひから聞こえてくるのは、自分を棄てた元夫に對し、自分は尚も棄てきれずにゐる、元夫への愛。
過去に、今は無い澁谷區松濤の舞薹でこの曲を觀た時、安倍晴明が設へた祈祷壇に下げられた後妻の髪を惡鬼女が打ち据ゑる様子は、恐ろしさよりも惨めさと哀れさが勝ってゐた印象がある。
安倍晴明の抗力によって退散した惡鬼女が、「また来るぞ」と云ひ殘す執念もさることながら、本當に恐ろしいのは、人をそこまで狂はせる“愛”そのものではないだらうか。