喜多六平太記念能楽堂で、金春流の「融」を観る。
この曲は全篇を通して、左大臣源融の邸宅跡-「六條河原院」が舞台である。
しかも今やそこは、主人亡きあと相続する者がいなかったため、すっかり廃墟と化している。
背後に松が描かれただけの能舞台に、その無情さが観る者の心に描けるかどうかで、この能はだいぶ味わいが違ってくる。
もっとも、廃墟ならいまのご時世、いたるところに展開されている。
ニンゲンが密集しているといふだけで心の通いあっていない、
そのくせ他人のやることに無関心ではいられない、
渇き果てたニンゲン廃墟。
月下でそれは、
愉快に映える。
この曲は全篇を通して、左大臣源融の邸宅跡-「六條河原院」が舞台である。
しかも今やそこは、主人亡きあと相続する者がいなかったため、すっかり廃墟と化している。
背後に松が描かれただけの能舞台に、その無情さが観る者の心に描けるかどうかで、この能はだいぶ味わいが違ってくる。
もっとも、廃墟ならいまのご時世、いたるところに展開されている。
ニンゲンが密集しているといふだけで心の通いあっていない、
そのくせ他人のやることに無関心ではいられない、
渇き果てたニンゲン廃墟。
月下でそれは、
愉快に映える。