海岸通り沿いにある日本郵便銀座支店と、コンラッド汐留との間を行く細い道の入口に立つ、この警報機。
線路も何もないのに突然左手に現れるので一瞬面食らいますが、昭和62年(1987年)1月31日まで、ここを汐留貨物駅と築地市場とを結ぶ貨物の引込み線が通っていました。
銀座8-21-1先に位置するこの警報機は、その貨物線の「浜離宮前踏切」があった名残りなのです。
貨物線の廃止後、全てが消えることを惜しんだ銀座の有志たちによって、警報機が永久保存されることになった旨が、土台に嵌め込まれたプレートに記されています。
ちなみに線路跡の道は、警報機を過ぎると右に緩くカーブしながらかつて築地川だった首都高速道路を渡り、
朝日新聞本社裏を抜けると、新大橋通りの向こうには終点だった築地市場の青果門が。
都会の目まぐるしい変化の先には、いったい何があるのだろう-
その速度についていけないものを感じる時、決して見えるわけのないものを見ようとする、そんな自分が、ここにいる。
線路も何もないのに突然左手に現れるので一瞬面食らいますが、昭和62年(1987年)1月31日まで、ここを汐留貨物駅と築地市場とを結ぶ貨物の引込み線が通っていました。
銀座8-21-1先に位置するこの警報機は、その貨物線の「浜離宮前踏切」があった名残りなのです。
貨物線の廃止後、全てが消えることを惜しんだ銀座の有志たちによって、警報機が永久保存されることになった旨が、土台に嵌め込まれたプレートに記されています。
ちなみに線路跡の道は、警報機を過ぎると右に緩くカーブしながらかつて築地川だった首都高速道路を渡り、
朝日新聞本社裏を抜けると、新大橋通りの向こうには終点だった築地市場の青果門が。
都会の目まぐるしい変化の先には、いったい何があるのだろう-
その速度についていけないものを感じる時、決して見えるわけのないものを見ようとする、そんな自分が、ここにいる。