ラジオで昨年十一月二日に逝去した狂言方大藏流の山本則俊師追想の「鐘の音」を聴く。
山本家の狂言らしい剛直な藝の傳承者にして、はっきりと耳に届く美聲の持ち主にして、舞薹上で硬い表情であるがゆゑにかへっておかし味が滲み出る、さうした魅力のある狂言方であった。
いつであったか、東京郊外の文化ホールで山本家による狂言の會が催された時、終演後に則俊師が羽織袴の正装でロビーに立って見送りの挨拶をしてゐたが、そのやうに人前へ出るのはあまり得意ではなささうな表情を感じたものだった。
平成三十年に橫濱能樂堂の企画公演で大役「那須語」をつとめる予定であったが、体調不良のため子息が代役をつとめた。
かくの如く、長男と次男と云う優れた後繼者を育て上げたことは、傳統藝能者としての使命を全うした、やはり優れた狂言方であったと、私は信じてゐる。