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墜落原因については、現在に至るまで新説奇説百出で、ただ一つのはずの真相が、時間を重ねるごとに藪の奥へと隠されていく氣がする。
しかし、520名の人々が亡くなったことだけは、はっきりとした事實だ。
思へば今年の正月早々に、羽田空港で同じ會社の航空機が着陸時に、海保機と接触して全焼する大事故が發生した。
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この時は乗務員の迅速な判斷と行動で乗客に死者を出さなかったのは不幸中の幸ひだったが、三十九年前の事故の時は、救助隊の出動が墜落から十時間も經ってからであったことが、惨事をさらに大きくしたとの指摘がある。
さうするとこの悲劇は、事故以上の「事件」であったと思へてくる。
すべては、ヒトの手から發生するのだ、と。