迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

まさに慶事!

2019-02-15 18:43:45 | 浮世見聞記
大正三年(1914年)に横浜市の綱島──当時は橘樹郡大綱村字樽──で、温泉が発見されたことを記す記念碑が今日、鶴見川に架かる大綱橋のそばに移設される。


もともとは大綱橋を横濱方面に渡った数メートル先、旧綱島街道との分岐点に、雑草にまみれて半ば傾ひた姿で佇んでゐたが、数ヶ月前に背後の古い家屋が解体されて更地となった際、記念碑も姿を消してしまった。


さては解体業者が撤去して廃棄したか──


さうして史蹟が破壊された例をいくつも知ってゐるだけに、いらい私はそこを通るたびに暗澹たる気持ちになってゐたが、今日かうして無事な姿を見られて、心から嬉しくなった。


今日の移設に立ち会った“有志”の方の話しでは、記念碑は案の定、解体業者によって破却されるところだったと云ふ。

それを間一髪のところで有志の方々が引き取って保管し、移設先の検討や地域との交渉を重ねて、めでたく今日を迎へたとのことである。





綱島がかつては「第二の箱根」と呼ばれた、東京からもっとも近い温泉保養地だったことを知る人は、現在では少ない。

私も、東横線の綱島驛が開業当時は「綱島温泉」といふ驛名であったことを知っていた関係で、辛うじてその認識があった程度に過ぎなかった。

それを、ちゃうど昨年のこの時期に横浜開港資料館と横浜市歴史博物館が共同企画した「銭湯と横浜」展に出かけたことで、正確に歴史を知るに至った次第だ。


現在では温泉施設も姿を消し、都市の郊外住宅地にすっかり様変はりした綱島だが、かつての歴史の生き証人であるこの記念碑が間一髪のところで助かり、かうして再び姿を見せてくれたことを、本當に嬉しく思ふ。


有志の方々には、心から感謝である!




平成三十一年最初の、とても嬉しくなった出来事。




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