若い父親に連れられて、小さな男の子が“みどりの東横線”に乗ってきた。
「“みどり”に乗れたよ。諦めなくて良かったねェ」
その小さな男の子の、可愛らしい達者な口ぶりに、私の口許はつひ綻んだ。
だうやら、自宅から驛の改札口まで急ひで来たらしい。
「好評につき」、運行期間を當分延長した二代目5000系の青ガエル。
私も今日の男の子くらゐの時分に、晩年の初代青ガエルを記憶してゐる。
近年はだうも怪しいやうだが、企業はその理念の一つとして、「社会貢献」があると聞く。
かつて五島時代の東京急行電鉄は、個性的で容姿の美しい高性能車を次々に発表して快適な輸送につとめ、その企業価値を高めた。
初代青ガエル5000系もその一つであり、池上線や目蒲線で余生を送る姿を記憶してゐることは、私の財産である。
さうした記憶にのこる仕事も、「社会貢献」であると私は考える。
そんな初代を再現したニ代目5000系の青ガエルに、小さな子どもたちが「みどりのとうよこせんだ!」と喜んでゐる姿を、私は何度か見かけたことがある。
かうして喜ぶ子がゐて、それをいつまでも記憶してゐるならば、この期間延長といふ仕事も、立派な「社会貢献」だ。
ガラス張りの高層ビルだらけな澁谷など、誰が後年まで記憶するであらうか──?