早朝にラジオ放送で、寶生流の「胡蝶」を聴く。
數年前に他流の仕舞でこの曲を観たとき、左手と扇を持った右手とで羽ばたきを表現する型があった如く、観たまま聴ひたままを素直に樂む軽快な曲。
この曲は觀世小次郎信光が、若手のために作ったと考へられてゐるさうで、視覺的にも強い印象を残す「船弁慶」に「紅葉狩」、「道成寺」、一方で「西行櫻」に憧れて晩年につくったとされる、しみじみとした名曲「遊行柳」──
應仁の亂と云ふ究極の世情不安を目の當たりにしたであらう信光が、自らの命と自らが属する觀世座の生き残りを賭けて模索した結果、現在も人気曲として續く猿樂の財産を生み出した。
耳に心地良い調子で進む「胡蝶」も、さうした國難も背景にあったであらうことを踏まへて聴くと、やはり深い“禱り”を聴ひてゐる氣になってくる。