ちょくちょくお世話になってゐる古書店から、五月末日まで休業延長と云ふお知らせをいただく。
はっきりとした醫療効果すら示されていないなか、このやたら手際の良い解除方針には、だうしても“ウラ”を疑ひたくなる。
幸ひ、春先までに大体の資料は集めておいたのでしばらく枯渇の恐れはないものの、やはり残念ではある。
だが、自身の活動再開時期もここに目安をおくことで、まずは納得することに。
それまでに、出来上がった作品をいつでも披露できるやう備へておかう。
もっとも、為政者はすでに「五十人以内の催しならばやっても良い」と、面白ひことを宣っておりゃる。
見物人の數だけで言へば、私などは充分にその條件を満たしておるわえ。
為政者は今月十四日に條件付きの“お手上げ宣言”の解除を考へてゐるらしいが、これまでの不手際ぶりを思ふと不審を感じる。
よほど、生活補償金を出したくないものと見ゆる。
また、既に述べてゐることだが、それによって大勢の人が動き出すことで、支那疫病がどのやうな反應を示すか、『人体實験』を試みるつもりなのではないか?
はっきりとした醫療効果すら示されていないなか、このやたら手際の良い解除方針には、だうしても“ウラ”を疑ひたくなる。
さらに言へば、
特効藥よりも先に「なかったこと」で國難を封じ込め、素知らぬ顔で茶番大運動會の開催へと話しを持って行く──
が、さうは問屋が卸すまい。
……やはり、古書店の五月いっぱいの休業は、厳しいが妥當な判断なのかもしれない。