地下鐵博物館の特別展「丸ノ内線開通70周年展~建設編~」を觀る。
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戰前の昭和十七年(1942年)六月に建設工事が始まるも戰争激化のため中止、戰後に再開されたものの物価急騰のため資材繰りが困難を極めるなど、令和現在の建設事情のはしりのやうな苦難を幾多も乗り越えて、終戰からわずか九年足らずの昭和二十九年(1954年)一月に池袋~御茶ノ水間が部分開業、八年後の昭和三十七年(1962年)に全線開通した現・東京メトロ丸ノ内線は、私も全區間でよくお世話になってゐる、大事な“足”である。
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その丸ノ内線の建設工事に焦点を當てた好企画で、すでに街並みが完成されてゐる戰後東京中心部の地下に、都市機能を停止させずに線路を敷いていく難工事について、
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(※案内チラシより)
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あの手この手あらゆる技術や知識を駆使して解決し、遂行された様子は感動的ですらある。
西銀座驛(現・銀座驛)の地上にあたる數寄屋橋下の工事では、
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橋臺コンクリートが工事の支障となるため、繁華街内の工事では初となる爆藥を使用しての撤去が行なはれたとは、今回初めて知る。
この特別展では触れられてゐないが、丸ノ内線には地下鐵でありながら四谷驛、及び本郷三丁目驛~茗荷谷驛間に地上區間があることについて、
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(※後樂園驛にて)
全線地下にすると當時ニッポンを占領してゐた米國進駐軍に「地下要塞を造るつもりか?」と疑はれる恐れがあったため、わざと地上區間を設けて躱したと仄聞したことがある。
しかし、1967年(昭和四十二年)公開の映画「007は二度死ぬ」では、
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その丸ノ内線が故人丹波哲郎扮する“タイガー田中”の移動地下要塞として登場するのは、なんとも皮肉ではある。
數々の困難を叡智で克服して誕生した地下鐵丸ノ内線、首都圏の移動手段としての重要性は日々の混雑がよく示してゐるが、忘日、沖縄出身のラジオパーソナリティが自身の番組内で上京當時を振り返り、毎日乗る丸ノ内線の車内では、
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乗客が「みんな死んだやうな暗い顔をして乗ってゐ」たので、丸ノ内線が大嫌ひだった云々。
沖縄では知らない人同士でも笑顔で言葉を交はす生活文化云々、トウキョウ人の不景氣な面相(カオ)がよほど衝撃的だったやうだ。
かく云ふ私も、朝の出勤時から既に夜の退勤後のやうな、ツマラナイ表情(カオ)をして電車に運搬されてゐる月給鳥たちなど、見るだけで運氣を吸ひ取られさうで、大嫌ひだ。
よって、アノ時間帯だけは電車の利用を避けるやうにしてゐる。
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日々當たり前に利用してゐるものがいかにして誕生したか、時にはさういふ事實を識って有り難さを噛み締めるのも大事だな、と學んだ氣になって、やはり難工事の末に開通した地下鐵東西線の地上區間に設けられた、葛西驛に向かふ。