迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ばちあたりのしわざ。

2016-12-27 05:58:17 | 浮世見聞記
近所の空き地に生えてゐた古い桜の木が、宅地整備のために入り込んだ土方によって、伐り倒されてしまった。

春になると毎年綺麗な花を立派に咲かせて、それはそれは心和む景色だった。

上の写真は、今年の春に撮った在りし日の姿。

私はここの桜が、大好きだった。


それが、もう見られない。

残念と言ふより、

悔しい。

とても悔しい。


以前にラジオ番組で、

『子どもの頃、空き地にあった大きな木が遊び場だったが、ある時そこにアパートを建てるため、伐り倒されてしまった。

とてもショックだったが子どもではどうすることも出来ず、それ以来引っ越してきたアパートの住人たちを、ずっと睨み続けてゐた』

と云ふお便りが紹介されてゐた。

投稿したその女性の気持ちが、よくわかる。


ここも整地されたのちには、どこにでもよくある安普請なアパートが密集して建てられ、部屋の数だけ有象無象が移り込んで、鬱陶しい光景になるのだらう。


私もそろそろ、この町を去る潮時なのかもしれない。



私は切り株となってしまった桜のもとに立つと、そっと掌をあわせた。

そして、足許に散らばる木片のひとつを拾って、部屋へと持ち帰った。




桜(はな)のもとで酒を浴びて騒ぐことしかできない輩には、

おわかりにはなりますまい。
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