近所の空き地に生えてゐた古い桜の木が、宅地整備のために入り込んだ土方によって、伐り倒されてしまった。
春になると毎年綺麗な花を立派に咲かせて、それはそれは心和む景色だった。
上の写真は、今年の春に撮った在りし日の姿。
私はここの桜が、大好きだった。
それが、もう見られない。
残念と言ふより、
悔しい。
とても悔しい。
以前にラジオ番組で、
『子どもの頃、空き地にあった大きな木が遊び場だったが、ある時そこにアパートを建てるため、伐り倒されてしまった。
とてもショックだったが子どもではどうすることも出来ず、それ以来引っ越してきたアパートの住人たちを、ずっと睨み続けてゐた』
と云ふお便りが紹介されてゐた。
投稿したその女性の気持ちが、よくわかる。
ここも整地されたのちには、どこにでもよくある安普請なアパートが密集して建てられ、部屋の数だけ有象無象が移り込んで、鬱陶しい光景になるのだらう。
私もそろそろ、この町を去る潮時なのかもしれない。
私は切り株となってしまった桜のもとに立つと、そっと掌をあわせた。
そして、足許に散らばる木片のひとつを拾って、部屋へと持ち帰った。
桜(はな)のもとで酒を浴びて騒ぐことしかできない輩には、
おわかりにはなりますまい。
春になると毎年綺麗な花を立派に咲かせて、それはそれは心和む景色だった。
上の写真は、今年の春に撮った在りし日の姿。
私はここの桜が、大好きだった。
それが、もう見られない。
残念と言ふより、
悔しい。
とても悔しい。
以前にラジオ番組で、
『子どもの頃、空き地にあった大きな木が遊び場だったが、ある時そこにアパートを建てるため、伐り倒されてしまった。
とてもショックだったが子どもではどうすることも出来ず、それ以来引っ越してきたアパートの住人たちを、ずっと睨み続けてゐた』
と云ふお便りが紹介されてゐた。
投稿したその女性の気持ちが、よくわかる。
ここも整地されたのちには、どこにでもよくある安普請なアパートが密集して建てられ、部屋の数だけ有象無象が移り込んで、鬱陶しい光景になるのだらう。
私もそろそろ、この町を去る潮時なのかもしれない。
私は切り株となってしまった桜のもとに立つと、そっと掌をあわせた。
そして、足許に散らばる木片のひとつを拾って、部屋へと持ち帰った。
桜(はな)のもとで酒を浴びて騒ぐことしかできない輩には、
おわかりにはなりますまい。