創作の資料として、昔の名人上手の謠をいくつか収めたCDを手に入れる。
そのうちの一曲、能樂忘流派の各派閥當主が一堂に會した素謠は、シテ、ワキ、ツレと、それぞれが一人で謠ふところは良さを感じられるが、地謠(合唱)になると音に統一性が無くなり、それぞれがそれぞれに謠ってゐるやうに聞こゑる。
藝能家とはいはゆる個人事業主、組織のなかでは我を張り合ふが宿命と、その古ひ音源は傅へてゐる。
だからこそ、私は組織と絶縁し、一人で自由にやらうと現代手猿樂を興したのだ──
支那疫病によりそれまでの日常が壊され、「新しゐ日常」への萌芽をうっすらと感じる現今(いま)、古人の“名人藝”は私に、おのれの“立ち位置”を教へる。
「今のうちに備ゑおくべし」
目當てだった別の曲は期待に勝る名品なれば、私は大ひに創作意欲をくすぐらるる。