迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

古謠に未来(あす)を聴く。

2020-04-26 19:16:00 | 浮世見聞記


創作の資料として、昔の名人上手の謠をいくつか収めたCDを手に入れる。


そのうちの一曲、能樂忘流派の各派閥當主が一堂に會した素謠は、シテ、ワキ、ツレと、それぞれが一人で謠ふところは良さを感じられるが、地謠(合唱)になると音に統一性が無くなり、それぞれがそれぞれに謠ってゐるやうに聞こゑる。


藝能家とはいはゆる個人事業主、組織のなかでは我を張り合ふが宿命と、その古ひ音源は傅へてゐる。


だからこそ、私は組織と絶縁し、一人で自由にやらうと現代手猿樂を興したのだ──



支那疫病によりそれまでの日常が壊され、「新しゐ日常」への萌芽をうっすらと感じる現今(いま)、古人の“名人藝”は私に、おのれの“立ち位置”を教へる。


「今のうちに備ゑおくべし」



目當てだった別の曲は期待に勝る名品なれば、私は大ひに創作意欲をくすぐらるる。





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