迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

櫻の修羅。

2021-05-23 08:01:00 | 浮世見聞記


朝のラジオ放送で、觀世流の「田村」を聴く。


數年前の夏、能樂五流が揃ふ恒例の「納涼能」が水道橋の舞臺で催された時に逢った、金春流前宗家の「田村」が忘れられない。

金春流と云ふ、最古の──とされる──流派を率ゐる者としての矜持を強く感じた、さういふ「田村」だった。

一度良い舞臺に出逢ったら、その印象を綺麗に残すため、その作品は二度と観ない──

さういふ樂しみ方も、この為す術無しな状況下では遠い昔の思ひ出となりさうで、朝からふと悲しい氣持ちにとらはるる。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鏡はいつでも真實のみを見せる。 | トップ | 大迫力沈む沈下橋四万十川 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。