時間が経つにつれて明らかになってくる当時の状況に、これは近頃頻発する無能ドライバーによる踏切事故のなかで、もっとも最悪にして最低の“事件”であるとの認識を強くする。
「事ここに極まれり」──
コメンテーターなる机上の太平楽どものなかには、やれ「(京浜急行線の)運転士の信号確認に問題はなかったのか?」だの、やれ「高架線が主流の時代にいつまでも地上線はいかなるものか?」だの、いかにも無責任な太平楽どもらしく見当外れな寝言をのたまってゐるやうだが、この“事件”は誰が見ても大型車が進入出来ないやうな狭い道へ侵入したドライバーに、全面的かつ徹底的な非がある。
その無能ぶりのために乗客や利用客はおろか、沿線住民たちの利便性まで阻害した罪は、とても重いと心得なければならない。
そのやうな状況下、京浜急行線が今朝から運休区間を短縮して利用客の利便性を図ったことは、非常時に冴へた技を見せるいかにもこの鐵道会社らしい手際の良さだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3c/45c7d4c64e997586b77f7964f6428e61.jpg?1567763977)
それにしても、
『踏切の警報器が鳴り、遮断機が下りたら必ず止まりませう。なぜならば……』
そんな幼児のうちに覺へることを、だうしていい年齢(とし)をしたオトナが理解出来ないのだらう?
その危険を身を以て理解した時には、まう遅いのだ。
その時は無事に済んだことを教訓にするのが、普通の人。
しかしさうでない人は、「今度も大丈夫!」などと発想する。
そして他所ですぐに同じことを繰り返すのだから、始末に負へない。
もっとも、どこかの時点で當然の結果になっていただければ、それに越したことはないのだが。
かくして今日もどこかで、危険意識に我関せずな最優良ドライバーが、鑑のやうな運転で悦に入ってゐることだらう。