新宿區立漱石山房記念館で、「永遠の弟子 森田草平」展を観る。
明治四十一年(1908年)に生来のだらしのない女遍歴を象徴するかのやうな心中未遂事件を起こし、そのみっともない顛末を小説化した「煤烟(煙)」が縁で夏目漱石傘下となったことにより社会的抹殺から逃れた森田草平の、生誕140年を記念した特別展。
と云っても、展示は残された書簡や原稿の一部、そして解説文パネルが中心で、とにかく「字」だらけで目が疲れる。
むしろ、同じ漱石門下にして昭和九年に起きた法政大學の“お家騒動”をきっかけに袂を分かった内田百閒の「実説艸平記」を讀んだはうが、氏の人物像を摑むには手っ取り早いだらう。
また夏目漱石から贈られた漢詩『緑苹破処池光浄(りょくへいのやぶるるところ いけのひかりきよらかなり)』より、“苹”を分解して“草平”と號した當人は夏目漱石の「永遠の弟子」を自負してゐたやうだが、私にはどうもこの文豪のことを巧く“利用”してゐたやうに思へる。
また漱石自身、他の“門下生”たちも含めてそのことを承知してゐたらしいことが、森田草平の著作から窺へて面白い。
前述の心中未遂事件の相手だった平塚らいてうは後に女性解放運動の活動家として名を成すが、所詮はひとりの“をんな”に過ぎないこと、また自身の漱石との師弟関係を通して、師匠と弟子の真理をも曝してみせたところが、晩年にはすっかり“過去の人”となったこの文士の手柄であったと、私は見る。