迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

失はれた江戸絵画の可能性。

2018-04-17 22:34:13 | 浮世見聞記
府中市美術館で、「リアル 最大の奇抜」展を観る。


江戸時代までの日本の絵画は、遠近感の無ひ平面的な構図ばかりと思われがちだが、十八世紀にもたらされたリアルな描写の西洋画に刺激を受けた有名無名さまざまな画家たちは、さうした写実性に富んだ作品づくりに挑んだ──

つまり、十九世紀のヨーロッパで大流行した“ジャポニスム”の逆輸入のやうなことが、江戸中期以降の日本で行なはれてゐたわけである。

さりながら、西洋画の手法を用ゐても、基本的な技法や顔料はあくまでも日本の伝統に則ってゐたため、明治以降のやうな単なる西洋画の猿マネではない、日本独自の写実画が、実はそこに生み出されてゐた。


それは、墨絵の技法によって陰影をつけた亜欧堂田善の「少女愛犬図」に、はっきり見て取ることが出来る。


もし、このまま発展してゐたならば、日本の画壇はもっと違ったものになってゐたかもしれない。


しかし明治以降、西洋文明の“珍しさ”を“至上”と勘違ひした日本人たちは、こぞってビゴーの風刺画に見るやうな猿マネに走った。

それは、画壇とても例外ではなかった。


結果、西洋絵画を下敷にして近代の「日本画」が成立したため、西洋画との境界がはっきりしないしろものが、浮世に多く出回ることになった──





わたしが近現代の日本画といふものにほとんど共感を覚えない原因が、すなわちこれである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『悪は太陽の影』。 | トップ | 聞こえないといふ真実。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。