迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

氏より育ち。

2017-01-14 21:05:15 | 浮世見聞記
横浜にぎわい座にて、「笑福亭鶴光一門会」を聴きに行く。


「仇の道連れ」を口演する鶴光師の、“伊勢音頭”の下座にのせた浮きやかな身振りに、上方落語といふ文化の個性を見る。


若手の弟子に、客席の最前列から直接(じか)に祝儀を手渡してゐる男性客がゐた。

一門の贔屓なのか、あるいはさういふ姿を大勢の人に見せたいだけなのかわからぬが、わたしの隣席にゐた老婆がそれを見て、夫らしきツレの老爺に、

「あら。いくら入っているのかしら……?」

と囁ひてゐるのが聞こえて、

『いくら懐具合が貧しくとも、このやうな心の貧しい朽ちかたはしたくないものだ……』

と、ため息が出さうになった。
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