横浜にぎわい座にて、「笑福亭鶴光一門会」を聴きに行く。
「仇の道連れ」を口演する鶴光師の、“伊勢音頭”の下座にのせた浮きやかな身振りに、上方落語といふ文化の個性を見る。
若手の弟子に、客席の最前列から直接(じか)に祝儀を手渡してゐる男性客がゐた。
一門の贔屓なのか、あるいはさういふ姿を大勢の人に見せたいだけなのかわからぬが、わたしの隣席にゐた老婆がそれを見て、夫らしきツレの老爺に、
「あら。いくら入っているのかしら……?」
と囁ひてゐるのが聞こえて、
『いくら懐具合が貧しくとも、このやうな心の貧しい朽ちかたはしたくないものだ……』
と、ため息が出さうになった。
「仇の道連れ」を口演する鶴光師の、“伊勢音頭”の下座にのせた浮きやかな身振りに、上方落語といふ文化の個性を見る。
若手の弟子に、客席の最前列から直接(じか)に祝儀を手渡してゐる男性客がゐた。
一門の贔屓なのか、あるいはさういふ姿を大勢の人に見せたいだけなのかわからぬが、わたしの隣席にゐた老婆がそれを見て、夫らしきツレの老爺に、
「あら。いくら入っているのかしら……?」
と囁ひてゐるのが聞こえて、
『いくら懐具合が貧しくとも、このやうな心の貧しい朽ちかたはしたくないものだ……』
と、ため息が出さうになった。