今年も、冬の“恒例”がやって来た。
首都圏の天敵──さう、“雪”だ。
今朝、外を見てうっすら程度で止んでゐることに、まずは安堵する。
とにかく首都圏は雪に脆弱である。
雪しかない土地の人はそれを見て嗤ふらしいが、
“それ”とは雪で転倒してゐる人の姿ばかりを集めた報道屋の映像であり、そんなつくられた首都圏像を鵜呑みにしてゐる人たちを、私は嗤ふ。
首都圏人も、なかなか強かにやってゐる . . . 本文を読む
平成もあと二ヶ月といふ現今、奇妙(おかし)なニュースばかりが伝へらると感じてゐるのは、私だけだらうか。
報道屋はさういふものばかりを選って流してゐるのではないか──と、疑ひたくなるほどに、目を背け、耳を塞ぎたくなる悪報ばかり。
それらにまともに取りあってゐたら、それこそ頭がおかしくなりさうだ。
そんな折り、懐かしい音楽を手に入れた。
私が幼かった頃に黄金期を迎へてゐた、“ザ・ドリフ . . . 本文を読む
横浜市青葉区の横浜市民ギャラリーあざみので、「暗くて明るいカメラーの部屋」展を見る。
何を言ひたいのかがよくわからない案内チラシそのままの、何を見せたいのかがよく見へてこない展覧会。
結局かういふテのものは、制作者の自己満足にすぎない。
そのなかでただ一点、私が足を留めたのは、米國のスペースシャトル“チャレンジャー”と、その最後の乗組員たちを写した作品。
1986年1月28日、スペ . . . 本文を読む
川崎市多摩区の明治大学平和教育登戸研究所資料館で、「帝銀事件と登戸研究所」展を見る。
昭和二十三年(1948年)一月二十六日の十五時半頃、帝国銀行椎名町支店におゐて行員たち十二名が毒殺された凄惨な事件は、今なお真相は謎とされてゐる。
横溝正史はこの事件も参考に「悪魔が来りて笛を吹く」を書き、作中では“天銀堂事件”としてゐるそれを通して、当時學生だった私はこの事件を知った。
のちに私は熊 . . . 本文を読む
一通りの型が出来上がったと思ひ、稽古を重ねてきた手猿楽の作品において、俄かにふっと、ほかに新たな型を思ひ付く。
それも稽古中ではなく、全く別のことをやってゐる最中に。
すぐにそれを中止して、稽古扇を手にとる。
やってみて、問題なし。
その作品の披露は、来週末の予定。
すでに面(おもて)も掛けて実際の感覚を会得するなど、詰めの段階に入ってからの、思ひがけない“改良”。
新たな案とい . . . 本文を読む
横浜市旭区の神奈川県立公文書館で、「改元漫遊」展を見る。
今年の五月一日に控へた改元に因み、江戸後期に行はれた“享和”への改元過程をはじめ、その時々の改元にまつわる人間模様を、所蔵資料とパネルで分かり易く展示した企画展。
元来、天皇は時間を支配する唯一の存在であり、その象徴が元号だった。
その元号をあらためる“改元”こそ、天皇の権威がもっとも発揮される時だった。
しかし、そんな権威も . . . 本文を読む
横浜みなとみらいのランドマークプラザで開催された、「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」に出かけてみる。
初日に出かけた人の話しから、私の気持ちにそれほど合ふ内容でもなささうな予感がしたが、二日目に出かけてみることは前から予定してゐたことなので、取り敢へず足を運ぶ。
やたらごった返した物販コーナーは、
やはり小児向けの品揃へでまったく食指は動かず、
模型メーカーが展示した京浜急行の“スター . . . 本文を読む
旧東海道川崎宿からほど近歩道で見かけた、みごとな木の根っこ。
以前に某所で、丸く根を張っているのは見かけたが、ここでは方形である。
しかも、隣の棕櫚に根を巻き付けてゐるその有様には──写真左端に注目──、弱肉強食はなにも生物だけではないといふ事実を見せつけてゐる。
その場の状況に應じて柔軟に、
しかし、
強かに根を張り巡らす。
生への凄まじい執念。
草木は無心にあらず。
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ラジオ番組のなかで、黒木瞳と講談師•神田松之丞の対談が放送されてゐた。
今年、神田松之丞は二つ目から真打ちに昇進する。
真打ちになると弟子をとれる。
現に、松之丞のもとには今から弟子志願者が殺到してゐるさうだ。
そこで松之丞は、弟子の“本気度”の見分け方を、黒木瞳に訊ねてゐた。
黒木瞳は藝能界の先輩として、
「それは行動に現れてくる」
と教へてゐた。
そのとき私は、ふと思った。
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