陶芸工房 朝

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メゾン・ド・ヒミコ

2005年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
映画メゾン・ド・ヒミコを観てきた。

わたしを迎えにきたのは、若くて美しい男
彼は父の愛人だった。
人はみんな孤独なもの
そして誰かと居ることは優しくあたたかい。
最高のキャストと錚々たる才能が結集して
新しい日本映画の扉を開く。

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 そんなコピーにひかれて出かけてみると、日曜の夜だと言うのに、シネ・ギャラリーは満席だ。若い人が多い。主演のオダギリジョーと柴咲コウは、若者に人気の俳優だということは後で知った。
 映画は、湘南海岸沿いのゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」が舞台。昔銀座に実際にあったゲイバー「卑弥呼」。政財界の大物が集まり一斉を風靡したという店だが、オーナーは店を閉めると、湘南にホテルを買い取り老人ホームにした。(何だか実際にありそうな話である。)そこで死を待つ卑弥呼と、それを取り巻くゲイの仲間たちの日常に、反発しながらも次第に巻き込まれていく沙織(卑弥呼の娘・柴咲コウ)が、物語を展開させる主人公。

 私はゲイに関心があったわけでも、オダギリジョーに興味があったわけでもなく、舞踏家田中民(みん・の漢字がでない)が何をどんな風に演じるのか興味があった。田中民は、数年前からここ静岡県の掛川市の農家を稽古場に活動を展開しており、私も二度ほどその前衛的な舞台を見たことがある。生活そのものが舞踏であり、生活そのものが芸術であるという、その強烈な個性から生まれる舞台は、不思議な魅力を持っている。

 映画も、最初はちょっと異様で滑稽にさえな感じられる舞台設定なのだが、すぐにその世界に溶け込む。
田中民は、死と向きあいながら、なお威厳と美しさを失わないゲイの女王の品格を見事に演じている。
オダギリジョーはとても格好いい。柴咲コウは飾り気のない素顔が美しい。その他個性的なゲイを演じる役者たちの演技も見事である。

そして、観ているうちに自然に、「人はみんな孤独なもの、そして誰かと居ることは優しく暖かい」、の意味がジワジワと心に染みてくる。監督は、犬童一心