陶芸工房 朝

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湯島天神と白梅と婦系図と

2017年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 もう一月も半分を過ぎてしまったので、今さら初詣の話でもないのですが、

「梅が咲き始めた」という知らせに、初詣に行った湯島天神の「白梅」のことを思い出しました。

 

東京都文京区湯島にある湯島天満宮・鳥居は1667年に創建されたもの

 

     今年は、孫娘の受験の年だから、初詣は学問の神様「天神様」にしようと、(本人は留守なので)  本人抜きの保護者だけの神頼み・・、「湯島天神」に出かけたのです。

(湯島神社は 雄略天皇の時代に天之手力雄命を祀る神社として創建、1355年に菅原道真を勧請して合祀したもの。今日のように合格を祈願する天満宮になったのは2000年以降のこととか。)

案の定、界隈は参拝者の長蛇の列です。

聞き知っている「女坂」も「男坂」も、昔ながらの情緒ある湯島の面影がどのあたりなのかも、

残念ながら散策してみれるような状態ではありません。

 

                                                    

長い長~い参拝者の列。列につながって何とか参拝を済ませ、境内へ。

境内は、おびただしい祈願の絵馬やおみくじでいっぱいです。

 

その境内の片隅に、早々と咲き誇っている一本の梅の木。 

                                                                    

                                                                             

「これが、かの有名な湯島の白梅か!」 と写真に撮ったのですが、

「湯島通れば思い出す  ♪~♪  お蔦・主税の心意気」・・という歌詞の一部分しか思い出せず、本当のところは全く知りません。有名な文士が住んでいたことや、湯島が花街で芸妓がいたことや、昔の帝大の学生が多く住んでいた等など・・・・・・・、話題の多い場所であることは確かなよう・・・。

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で、泉鏡花の「婦系図」とは、どんなお話だったかと、青空文庫で読んでみました。

語りと台詞とで構成された文面は、まったく浄瑠璃の世界そのもの。芸妓上がりの囲い妻お蔦と学士風(ドイツ語の翻訳家)の主税(ちから)の、当時の世間からは認められない価値観と、権威と権力とお金と時代の常識との対決、明治という時代に生きた女(婦)のけなげで哀しい様が、何とも芝居じみた台詞廻しの中で描かれていました。当時の下町の暮らし向きや、御用聞きのようすや、上流社会の女性と庶民の女の言葉使いの違い、着るものの違い等など・・・・、おもしろい発見もいろいろありました。

が、湯島の白梅の場面は鏡花の婦系図の中になく、後に芝居で上演される際に登場したものだということが判りました。

明治から百年、東京も変わり、男も女も変わり、暮らし方も価値観も変わって、自由と民主主義の世界が日本中にいきわたったことを、改めてありがたいことと認識したのでした。