もう何年前になるでしょうか。多分50年近く前。
私の住む西宮市に、日石の石油コンビナートを誘致するという問題が持ち上がりました。
市を二分する大問題でした。
それの是非を問う市長選挙で賛成派と反対派の対立が深まりました。
わたしはまだ未成年でしたが、そのわたしにまで投票依頼されました。
正に激戦だったと思います。
結局、反対派が勝ち、日石は西宮への進出を断念しました。
これは、日本で初めて住民運動が成功した例といわれております。
(正確には100%の住民運動ではなく、酒造会社が宮水を守るための運動、いわば企業エゴとの連動で成功したものと、わたしは思っていますが)
後に、そのコンビナートは四日市市に作られ、「四日市ぜんそく」で有名になりました。
もし、あの時、賛成派が勝っていれば「西宮ぜんそく」が有名になったことでしょう。
hitoshiやkiyoもぜんそくに悩まされたかもしれません。
で、この写真を見て下さい。
2年前の写真です。
うちの店で使うお米を作って下さっている兵庫県北部の法花寺の裏山(剣蛇ヶ岳)に登った
時の写真です。写っているのは、その山の頂上からの光景。久美浜です。
美しい海岸です。京丹後市です。
ここに、関電は30年も前に原発を作ろうと計画しました。ところが、住民は反対し、30年間
の闘争のすえ、関電に諦めさせました。
そのせいで、この街に札束は落ちてきませんでした。
わたし、もう随分前に、福井の美浜原発を見学したことがあります。
札束が舞い落ちたとしか思えないような美しく、整備された街でした。