昨年、12回まで書いた「ニカラグァ米」の13回目。
12回では金澤さんのことを書いた。
今回は、その北隣のこと。
実はそこは元々畑だった。そこに森岡さんという一家が引越してこられた。
ご主人はたしか市立西宮高校の用務員さんだったと思う。
そのご長男が利郎さんと言って、後に今津中学野球部のエースになる。また彼はケンカが強く、今中では番長だったときく。わたしより一歳下。
因みにわたしは浜脇中学に行った。近所なのに二つの中学に別れた理由は、彼が引越してきたからである。元の家の近くの子どもたちは今津校区だった。その子たちとの方が仲良しだったからだ。でも今だったらダメでしょうね。校区はキビシイですから。
また、わたしたちの住む用海町のこの場所は、今中と浜中の丁度中間点にあたり、どっちに行っても良かったのだと思う。たしか私にも「どっちに行く?」と打診があったような記憶がある。が、わたしは友達の多くが浜中校区だったので浜中にした。
で、利郎君だが、中学のころ、お父さんが毎日のように野球の指導をしておられた。日本盛の空き地でピッチング練習だった。それもすでに硬球を使っておられた。わたしたちは見ていて驚いたものだ。その熱心さに。きっとプロの選手にしようとなさってたのだ。
ということで、後に小西酒造(清酒白鶴)に就職する。小西酒造はノンプロの強豪チームだった。
が、彼はそこまでだった。残念ながらプロ野球には行けなかった。
後の話だが、彼で思い出す印象的なことがもう一つある。お地蔵さんの世話人の田淵さんの娘さんで圭子ちゃんという人がおられた。わたしより一歳か二歳上だった。その人が夜遅くの勤め帰り、駅からの帰り道、変な人につけられて恐い思いをしてるところに、丁度この利郎君が通りかかり助けを求めたと。すると利郎君「どいつや!こいつかっ!」と大きな声でその男に向かって怒鳴って追い払ったのだと。彼は大柄だったし、正直言ってお顔も恐持てだった。彼に怒鳴られては誰でも逃げる。
つづく