戦時中に女子挺身隊員として、詩人杉山平一氏の工場で働いたという人がある。
そこで、若き専務だった杉山平一氏に 詩の講義を受けたと。
その人とわたしは縁が出来ていて、この度の本
『完本 コーヒーカップの耳』をお贈りした。
今回の本はわたし、多くの人にはお贈りしていない。
ごく近しい人、あるいは恩になった人にのみお贈りした。
で、女子挺身隊員だった大洲のN山S子さんだが、返事の礼状が来た。
ところが、手紙を書いた人はS子さんの娘さんだった。
《(略)母は昨年の夏以来、病気と怪我で入院を繰り返し、記憶力と認知力が一気に落ちてしまいました。
退院後、元気ではあるのですが、聴力と視力の低下が著しく、介護なしの生活が難しい状況です。折角の今村さんのご本も拝読することが出来ません。
でも、わたしが丁寧に今村さんや杉山平一さんの話をすると、少しずつ記憶がよみがえってきました。
そして、長い間、『コーヒーカップの耳』の表紙をじ~っと見つめて、一言、「うれしい」とつぶやきました。
自分のことを思い出し、そのうえご著書まで送ってくださる今村さんのやさしいお気持ちを感じたのだと思います。
その晩、母の寝室をのぞくと、ご本を枕元に置いて眠っていました。すやすやと眠る口元が、わずかに微笑んでいるように見え、わたしもうれしくなりました。と同時に、母はわたしが感心するほどの読書家で、文学を愛する人でしたので、どんなにか自分の目で読みたいのだろう、という彼女の思いを感じ、少し切なくなりました。
これから、母に少しずつ読み聞かせをしていくつもりです。
一昨日、冒頭の「へその緒」と「お母さ~ん」を読んで聞かせると、「なつかしい…そういう話はなつなしいなあ」と言いました。今、思いつく限りの彼女なりの感想です。
本当にありがとうございました。季節の変わり目の折、どうぞお体ご自愛くださいませ。
母と共に、心より感謝を込めて。》
こんな手紙をもらうと、お贈りした甲斐があるというものです。