神戸元町のラッセホールでのイベントに参加してきました。
体調が心配なので、ソロ~っと。
実は先に参加の通知をしてあったのですが、その後、体調を損ね、担当のN口さんに欠席を申し出ていました。
しかし今朝になって、体調も良さそうなので改めて「出席してもいいですか」と了解を得たのでした。
松下育夫さんによる講演、「詩を読むこと・書くこと」。
お話し、上手でした。
二時間近く、飽きることない話で、時に笑いも。
内容は、わたしも共感できる話でした。
というより、自分が日ごろ実践しているようなことで、安心しました。
要するに、次のようなこと。
《生れ出た言葉に、たとえかすかでも心を動かされることがあるのなら、それも詩と呼んでいいのではないか。そう考えてこの言葉の連らなりを「詩集」と呼ぶことにした。少なくともわたし一人は心が動いたのだから。》(詩集『恒子抄』あとがきより)
自分の作品を他人の作品と比べる必要はないということ。楽しめばいいと。
講演が終わって、あと質疑応答があったのですが、わたしはちょっとしんどくなりましたので、その途中で失礼しました。
予め出口近くに席を取ってましたので、ソロっと部屋を出たのですが、
出たところに、F永さんが出てきてくださって、挨拶をしてくださいました。
『コーヒーカップの耳』 人は気を許すと、こうも赤裸々に語れるものなのか。
体調が心配なので、ソロ~っと。
実は先に参加の通知をしてあったのですが、その後、体調を損ね、担当のN口さんに欠席を申し出ていました。
しかし今朝になって、体調も良さそうなので改めて「出席してもいいですか」と了解を得たのでした。
松下育夫さんによる講演、「詩を読むこと・書くこと」。
お話し、上手でした。
二時間近く、飽きることない話で、時に笑いも。
内容は、わたしも共感できる話でした。
というより、自分が日ごろ実践しているようなことで、安心しました。
要するに、次のようなこと。
《生れ出た言葉に、たとえかすかでも心を動かされることがあるのなら、それも詩と呼んでいいのではないか。そう考えてこの言葉の連らなりを「詩集」と呼ぶことにした。少なくともわたし一人は心が動いたのだから。》(詩集『恒子抄』あとがきより)
自分の作品を他人の作品と比べる必要はないということ。楽しめばいいと。
講演が終わって、あと質疑応答があったのですが、わたしはちょっとしんどくなりましたので、その途中で失礼しました。
予め出口近くに席を取ってましたので、ソロっと部屋を出たのですが、
出たところに、F永さんが出てきてくださって、挨拶をしてくださいました。
『コーヒーカップの耳』 人は気を許すと、こうも赤裸々に語れるものなのか。