喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「生きているうちは、ひとは世のなかの役にたってしまう」

2016-01-25 09:59:49 | 宮崎修二朗翁
【昨日書いた宮崎翁の切り抜きの件に関連して】

一枚一枚、性根を据えて読ませて頂いていました。
朝日新聞の「折々のことば」というコラム。
うちは朝日新聞をとっていないので、宮崎翁がわたしのために切り抜いて下さっている。
それは昨年春、このコラムが始まって以来ずっと。
なんとありがたいことでしょうか。
そして昨年末からの入院、入所以後も続けて下さっているのだ。
しかし昨日も書いたように施設では鋏を身辺に置かせてはもらえないのだろう。
手でちぎって下さっている。
これ、やってみるとなかなか難しいこと。
この写真の一枚も千切りあとが痛々しい。
先生のその時の姿を思うと、胸が痛い。



さて、この石田千という人の言葉、
「生きているうちは、ひとは世のなかの役にたってしまう。」に息が止まってしまう。
ドリアン助川さんの小説・映画「あん」に底流するテーマではないか。
このコラム、続けて、鷲田清一さんがこう書いておられる。

≪例が面白い。犯罪者だって、警察が動けばガソリン補給や張り込み中のパンが必要となるし、尋問中は出前のカツ丼を食べ、収監されると職業訓練で人々に貢献する。つまりは「金銭物資の流通」が起こる。どんな人も役に立つから存在に意味があるのではなく、ただいるだけで意味がある。が、そもそも役に立たないでいることが難しいと小説家は言う。「役立たず、」から。≫
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ブーケの里」続き | トップ | 北野和博君の詩 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (どどん)
2016-01-25 18:19:00
社会の役に立たなければ生まれてきた意味がない…と多くの若者が口にすることに違和感を持ったというドリアンさん。
これまで何の違和感も持たなかった私。
人の役に立つ、社会に貢献する、という尺度で生きる価値や実感を得ようとしていました。
去年の一番大きな出会いでした。
返信する
生れて来た意味 (akaru)
2016-01-25 19:33:56
どどん様
わたしもドリアンさんの小説で目からウロコでした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

宮崎修二朗翁」カテゴリの最新記事