新潟地理歴史・写真撮影:2008.11.29
江戸時代、出雲崎は天領であった。
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今に残る古い町並み。かつては北前船の寄港により賑わった出雲崎。芭蕉もこの地を通り「荒波や...」の句を残している。妻入りの町並みを保存しようという地元の取り組みが、所々に風情あるたたずまいを見せている。現地を訪れたのは晴天に恵まれた11月29日のこと。もう日が経っているが、出雲崎の風景を「出雲崎よもやま話し」と共にいくつか紹介してみたい。
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Photo-03 (現地にはこのような掲示が..)
出雲崎代官所の移転についてのお話し
出雲崎に徳川幕府の代官所が置かれたのは、元和二年(約四〇〇年くらい前)でした。その間、何回か移転していますが、現在の稲荷町にあったころの話です。
文化四年(二〇〇年くらい前)九月、山崩れで代官所が壊れ、翌五年に現在の代官所跡地に移されました。その時、代官所の守護神であった稲荷神社も移す事になっていましたが、稲荷様が「俺はここから移るのはいやだ。」と反対をしたために、代官所より移転を命じられていた棟梁は困ってしまい。考えた末、稲荷様には内緒で真夜中に社殿を解体して移転することにしました。
すると、稲荷様のバチ(神罰)なのか不思議なことに、棟梁の眉毛が全部抜けて無くなってしまったのです。困った棟梁は毎日墨壺の墨で眉を描いて仕事に出たという話が伝えられています。
慶応四年の戊辰戦争の時、官軍より攻め入られそうになった場合、軍令では代官所を焼き払った後に引き上げなければならなかったそうです。しかし、長い間やっかいになった町屋への延焼を懸念して形式的に門前で焚き火をして退却したそうです。おかげで出雲崎は焼け野原にならずに今の妻入りの町並みを残すことができたのです。
妻入りの町並景観推進委員会
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Photo-06 (堀部安兵衛住居跡)
堀部は赤穂浪士47士の一人である。
Photo-07 (養泉寺・堀部使用の酒杯が伝わるという)
Photo-08 (養泉寺)
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写真撮影:2008.11.29 三島郡出雲崎町
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2008年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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佐渡の金山から掘られた金は真野町を通って小木から船で出雲崎に渡ったそうです。
その後高田あたりから北国街道、中山道を通って江戸に運ばれたそうです。
佐渡で2泊、出雲崎で1泊と考えていますが、まだ実施に至っていません。
最初の狭い路地は小木の宿根木にある船形の家並みを連想しました。
海岸に北前船を繋いだという石が建っていました。
「千石船」も建造され、見学できます。
まだでしたら、ぜひ訪ねてみてください。
私の住む倉敷にも「美観地区」といって昔の町並みの保存地区がありますが、ご当地にも往時の名残があるようですね。
「出雲崎」という地名、島根県の「出雲」と何か関係ありやと思って調べてみたら、「神話時代に大国主命によって開拓されたと伝えられており・・」と書いてありました。
ありがとうございます。
宿根木のそれも、千石船も。
見ていますよ。良いところ
ですし、目立ちますし(笑)。
「金の道」。なかなか楽し
そうですね。越佐を結ぶ海
運ルートはいくつかあると
思います。歩きのことを考
えてルートを考えるのも楽
しそうですね。まずは中山
峠。国道をはずれて歩く未
舗装の旧道ありますよ。
ちょっと笑えますよね。
いたずらのような感じです。
よもやま話はいくつか仕入
れてありますので、また続
編を紹介したいと思ってい
ます。
離島ということから流人の島。
金山があったおかげで天領。
古い時代から朝廷や幕府など
時の権力との歴史的つながり
が多い島ですよ。
美観地区行きました。
とても良いところです。
あそこほど出雲崎は整
備されていません。
ですが、作られた感じも
まだ少ないので、素朴な
風合いを持っています。
後日続きを予定しています。
またよろしかったら..。