
真野湾に面した二見(ふたみ)に、中宮山・龍吟寺という小さな寺があった。
通りを挟んで家々が並ぶ中、『彫刻 金銅聖観音立像』と小さな標識がある。山
手(段丘崖)へと向かう路地の入口部分にそれはあるが、確かに路地の奥に目を
やると寺らしき建物が見えている。
この龍吟寺にあるという像だが、順徳院が承久三年(1221)佐渡配流となった折
所持されてきたものとの説があるという。残念ながら訪れたときにその像を見る
ことはなかったが、説明書きの看板があるのでありがたい。
1221(承久三)年といえば、承久の乱の年である。歴史に明るい人であれば、そ
の乱がどのようなものかはおわかりであろう。上皇方と幕府方との戦、勝利した幕
府方は乱の処理として、後鳥羽上皇を隠岐へ、順徳上皇を佐渡へと流したのである。
この時土御門上皇も自ら望んで土佐へと渡ったと聞く。
さて、このあと二見の街中を少し歩いた。街とは言うが二見は真野湾の出口近くに
ある小さな集落。隅々を見てまわるのにたいして時間はかからない。だが、かつての
小学校跡と思われる木造校舎、社叢の雰囲気がよい二見神社など、ちょっとした散歩
には楽しめる所であることがわかった。
注:承久の乱を詳しく知りたいのであれば下記へ
承久の乱・ウィキペディア
二見の町の風景(写真追加2006.1.2)
これがメインストリート
<写真撮影:2005.12.3> 2005年 地理の部屋と佐渡島。
心配した空模様ですが、新年には風もなく静かなお正月を迎えることができましたが、いかがでしょうか。
二見には銀鉱石の積出港として発展していた頃の遊郭の跡が残っているそうですが、なかなか公開されず残念です。ぜひ保存していくためにも公開を望むひとりです。少しでも手がかりはありませんか?
今年も楽しみにしております。
こちらは昨日は晴天に恵まれました。
一方で、今朝は雨です。まあ雪よりは良いな
といった感じです。
先ほど初売りセールというので、メガネスー
パーに遠近両用メガネを初めて作りにいって
きました。
さて、
>二見には銀鉱石の積出港として発展してい
た頃の遊郭の跡が残っているそうですが..
貴重な情報感謝です。
次回訪問する際にはそんなことを意識してまわ
りたいものと思います。小木の小木町にも同様
の名残の留めた家屋ありますよねぇ~。
二階部分が道路側に張り出したタイプの様式で
す。
>今年も楽しみにしております。
頑張りますね。また情報を下さい。
私も勉強になります。
二見の街中の風景です。
通りに面して、二階部分が張り出している
建て方にはそれなりに意味があるはずです。
これらが必ず遊郭とは言えませんでしょうが、
建て方としてはそんなタイプになるものと思
うのですが..。
ご指摘のとおり遊郭のなごりといわれる部分です。
何軒かあったようですが、現在の生活には不便とのことでようやく残っている建物のようです。
素晴しいのは家の内装、調度品とか…。
回船で繁栄した部分なので、公開は微妙なところなのでしょうが、佐渡が世界遺産登録を目指すなら、こういう部分も含めて全体が見えてくるものと思っているのです。
>早速走っていただき頭がさがります。
いえいえ、誤解を与えてしまっているようで恐縮です。
当方は昨年の12月3日に先の写真を撮影していますので、
大した労力は使っていませんでした。
はっきりと明記すれば良かったのですが、既報の写真
と同じ時に撮影しています。いつもそうですが、取材時
は200~300は写真を撮影して帰ります。
そのストックを少しずつ紹介しています。当方は、現
在長岡市居住ですので、ストックが乏しくなると佐渡帰
省。取材帰省をします。
ですので、ご安心を..。
なぁ~んだと笑っていただければであります。
さて、追加した写真がヒコさんのイメージしていたも
のと合っているようで安心しました。人の家ですので、
あまりはっきりと特定できる写真の使用は控えていまし
た。それでも取材時は、何かの記録のためにと思い、
少しはサイトにアップしないものも撮影してきます。
>素晴しいのは家の内装、調度品とか…。
そんな所まで取材がかなうとどんなに嬉しいことでしょ
う..。また、色々な情報をいただければと思います。
佐渡が世界遺産。さしづめ金山を中心とした産業遺産
がメインとなりましょうか? 遺産には数々の種類・分
野があると思いますが、狙うのであれば..。
一方、街並み保存の観点で言うなら、今回の二見の家
並みのように、かつての歴史がかいま見れるような街並
みがよいですね。二見地区は、もっと統一的な家並みの
再現をしますととっても良いですねぇ~。宿根木の魅力
もその辺から来るものと思います。
こういう風情がきちんと再現・保存されていくことが、
遺産登録につながるのかなぁ~、そしてそうなると嬉し
いですねぇ~。
二見の昔ながらの家の造りは出桁造りといいます。
二階の出っ張っている部分は廊下です。
あまり詳しく説明すると訪ねる楽しみがなくなってしまいますが、京の町屋と似ていなくもないです。
外観が昔のままの家は2軒しかなくなりましたが、一歩中に入ると昔のままという家も何軒かあります。
市の佐渡金銀山室の人たちが何回か調査に来たことがあります。
宿根木同様、人が住んでいるわけですが、たぶんこれらの家の人たちは「見せていただけないでしょうか」と言われれば悦んで案内してくれるのではと思いますよ、たぶんですが。
それにしても、かんりにんさんが竜吟寺を記事にした日は私も実家に行っていたので、もしやニアミス?と
一瞬思いました。が、今年は大雪、撮影はそのひと月前でしたね。
今年の正月3日に、毎年恒例の竜吟寺の大般若会に初めて行ってきました。こういう伝統行事に参加するのはやはり気持ちのいいものだなと思いつつ、若い人の参加がなかったのが寂しかったです。
そして竜吟寺の向かって左は創立97年で惜しくも閉校になってしまった小学校、私が子どもの頃は体育の授業のとき、校庭が狭いのでお寺の墓地を抜けて神社の石段を駆け上るというコースで走ったことがありました。今では海岸通りに面して集落の広いグラウンドがありますが。
さて、竜吟寺の向かって左は創立97年で惜しくも閉校になってしまった小学校...
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cc/ca89b0059ece46ba5a34e5f093e1fb79.jpg
これですね。
ちょっと聞かせて欲しいのですが、二見中学校はどうでしょう。橘か稲鯨の段丘上にあったあの校舎は現役なのでしょうか?
橘にあった二見中学校も平成15年3月で
閉校になってしまいました。
小学校ほどには思い入れがないのですが、
中学校の廊下側の窓から眺める夕日が
とても美しかったこと、ちょっと洒落た
フランス窓があって、運良く2年生のとき
その教室のクラスで、休み時間中は窓から
ぼけ~っと物思いに耽っていたのを今でも
想い出します。
二見小学校は、地元の剣道愛好家たちが
練習の場として今も利用していますが、
たぶん中学校はこのまま朽ちるだけ?
小学校は児童の少数化による閉校(平成
12年3月)でしたが、中学校はそれに
加えて、校舎の老朽化のための決断でも
ありました。
二見中。閉校と知りまして、やはり..の
思いでした。海を背後に控えた高台にある
校舎の雰囲気がとても良いものでした。
機会を見て、手持ちの写真と共に記事化し
ようと思っています。