長岡市から小千谷へ向かう際、たいがいの場合は国道17号を行く。かつての17号は小千谷市内へと入る際、信濃川右岸の崖下の道を通っていた。もう随分前になるが、妙見堰の完成と共に、国道17号は妙見町で信濃川左岸へと渡るルートとなっていた。
しかし、それ以降も旧17号(国道291号)を使うドライバーは多く、崖下の道はこの地域にとっては大切な通り道であった。
10月23日。午後5時56分。最初の大きな揺れ、それからほどなく大きな揺れが相次いだ。
あんなにもろいものとは思わなかった。それまでは何の心配もなく通っていたあの道でこんな惨事が起こるとは..。たいがいの人が私と同様の感想を持ったに違いない。以後、幼子とその母の存命が国民的願いとなった。この顛末については、10.23新潟県中越地震8「皆川さんのご冥福を祈ります」にも示している。
今ではあの現場も復旧作業が随分進み、あの当時の風景はしだいに消えつつある。今後付近は工事の完了を待ってさらに大きく様変わりするはずだ。あの時以降、折に触れてはこの現場を撮影してきたが、去る8月16日(2006(平成18)年)、再び撮影に及んだ。
変わったなぁ~。今や発生当時の風景を知る者一様にこう感じている。だが、忘れまい。風景が如何に変わろうともこの地で二名の尊い命が奪われたことを..。
付録写真(先の過去記事の写真50%サイズ)
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写真撮影:2006.8.16
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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例の事故の場所ですね・・・。
随分切り土が進み、安定斜面が出来つつあるようです。でも、未だかかりそうですね・・・。
まだまだなのだと思います。
雪深い土地ですから、冬が
来る前に..。
景色が変わっても、私も忘れません。
しかし、あんなに近くまで現場にいけるようになっているとは。驚きました。急ピッチで進んでいるのがわかりました。
あちこちで工事の完了した所が
でてきていますが、一方でまだ
まだの所、それどころか手つか
ずの所が残っています。
地理佐渡としては、それら全て、
継続的に観察が必要と見ています。
しかし、このあいだはラッキー
でしたねぇ~。
事故報道の中継をみていた時と変ってきていますね。
皆川親子の犠牲があったからこそのこの変わりようと云ったら、
不謹慎な言葉であることを意識しつつキーボードを打っています・・・
いまの政治は何がしかの犠牲がなくては、ことを起こそうとしていないのではと・・・
地方切捨て・・・受益者負担の考えを振り回す現在の政治と重ね合わせながら、
画像を拝見しながら、、合掌・・・
とにかく変わってきました。
いつも思うのですが、あまり
派手にモニュメント化しない
と良いのだが..、と思って
います。
それにしても相当な変わりよ
うですが、工事の方はまだ続
きそうです。