写真撮影:2012.03.25
物事には見えないそれがある。
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境界とか境目という言葉。人の言動において実に難しいものです。過ぎても良い時、控えめな方が良い時、そして一方でその中間が良い時と、タイミングにプラス・マイナスの位置関係をチューニングせねばならぬ時もあります。境界・境目とは生活の中にあって微妙に揺れ動くものですので難しい。でも人生の複雑さはそこにあるような気がします。
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こう考えると世に曰く「空気を読む」は、境界・境目のことを言っているように思えます。しかし、先述のようにその内容や位置関係をどう調整するかは人様々。ここにその人の個性もあって、時以外の個性という要素と絡み合い、より複雑化します。
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人の生き方やありようと言う事を考える時に、実は根底にある思いだけでなくて、それをどのように外へとアウトプットするか。このことが絶妙な調整でなされているのかというのが、実は人それぞれの悩みとなって来ます。
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面白い。実に面白いです。では何を持って境界とか境目を得た言動となり得るか。タイミングの良い、しかも控えめな言葉を発したい。それは人の重みを増すような気がしますし、一方で良いことを言っているようで、ずれたチューニングのもとでは軽くとらえられたりします。良いことを言っているのに人に軽く見られているのではもったいないこと。
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考えてしまいます。境界とか、境目の魔術師になりたい。ある意味、人の有り様を左右するとわかっていたいキーワードかも知れません。たった一つの言動が最高にも、最低のカードにもなり得るというのですから..。
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この前の日曜日に、ちょっと気になって素浜へと向かいました。期待をして行っては見ましたが、空振りでした。夕日の撮影はこうした事の積み重ねに終始します(笑)。こちらには意図できるような境界・境目はないのです(大笑)。
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The morning sun and the setting sun..225
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地理の部屋と佐渡島 写真撮影 2012.03.25
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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今朝は大変難しいお話ですね。
素浜の夕景も複雑に絡んで雲の動きも微妙に見えます。
昨日はやっと暖かいと思われる一日となりました。
今朝も晴れた良い天気です。 午後はPC学習会です。
本来境界などという物はないと思って
います。
人間が都合によって勝手に作っているものです。
地球の狭い土地にも海にも更には空にまで
勝手に線を引いています。
水平線も実際には線ではありません。
船で進めばいずれ陸地が現れてきます。
今日は重い雲をみながら重い話でした。
もう少しリラックスして人生を楽しみましょう。
今朝はまた深いですね。
一時期、だいぶ以前ですが、境目のない・・・
というコピーがありましたね。
私も行動するにおいては、あまり境目は作らないほうがいいかなと考えています。
>タイミングの良い、しかも控えめな言葉を発したい。
つい先日これで失敗しました。(悲)
結界と言う言葉もありますね。
たとえば「人の世界」と「魔界」、「この世」と「あの世」、犯罪の世界での「こちら側」と「あちら側」、「正常」と「狂気」、「昼」と「夜」、塀の「こちら側」と「向こう側」、境界を自由に行き来する者にあこがれるものもいれば、怖れる者もいる。人を魅了して病まないのが「境界」です。
「言動において過ぎてもよいとき」と「控えめな方がよいとき」、「場の空気を読む」という問題意識でこの「境い目」や「境界」が語られているのを読むのは、初めてのような気がします。
ぼくの場合、金融界にいましたから、仕事で言えば「あと一歩で『あちら側』へ行く」という危ないときが何回かありました。犯罪の世界での「こちら側」と「あちら側」ですね。行かないでよかった、と思っています。「境界」とは、そのくらい危険なものだ、と思うのです。本社のある部では、逮捕者が出る寸前で身体を壊し、うまいタイミングで異動できた。
仕事という面で言えば、銀行の本部の部長、支店の支店長クラス。成績を伸ばすためには何をやってもいい。客に損をさせ、倒産に追い込み、部下をノイローゼにして退職に追い込んでも、過労死させてでも出世を狙う。そういう人の下でも働きました。「正常」な社会人の境界を越えてしまっている…。この人はもう「あちら側」へ行ってしまっているなあ、と思いましたよ。
心房細動発作の遠因は間違いなく仕事上のストレスですが、「境界」を越える前に身体を壊してよかった、とも言えます。
結果的には現状とてもゆったりとしています。よかった、よかった。
上で書いたほどに追い詰められていますか。
そこまででなければ、まあ、気楽にやりましょう。
今日は難しいお話ですね。
小生は意味は違うかも知れませんが、「土足で他人の家に踏み込まない」様に気をつけてます。
('_')今朝は長崎歴史博物館の見学の様子をアップしましたのでお付き合い頂ければ幸せます。
('_')それでは金曜日にまたお伺いします。
('_')来訪・コメントを、お待ちしていま~す!
!(^^)!バイ!バ~ィ!!
本当ですよ、私はアメリカ生活40年になります
こちらでは 人様の中に入らない これが大前提です、日本人にしますと少し淋しいでしょうが、境目は大変大事な事なのです、ですから勤務先でも色々有りますが境界を越えないこれが
アメリカ流の行き方なのです、と ちょっと冷たいですが。
今回は皆さん新任地に向かって行かれましたが
又新任の方が到着なさるから 佐渡地理さんの世界はもっと広がります、いい事です。
境界・・・、
私におきましては、
「if の世界」と思っています。
どちらを選択してもそれなりに迷います。
今日は、考える問題でした、
素浜の夕日、なぜか思わし気に見えました。。。
「空気を読めない」・・それは私のことですが、
どっちつかずの中途半端になるくらいなら、完全に「空気は読まない」という選択です。
周囲の様子を見ながら立ち位置を決める、安全なようでいて、どうなんでしょうね。
孤立すればもちろん生存リスクは高いですよ、ただ結果が良くも悪くも自分としてはナットクできますけどね。
まぁそういう人は滅多にいないわけで、当方はドロップアウトしていますですから(笑)
今日かい?明日かい?なんてバカな言葉が出てくる位です。
言葉一つで相手の立場がこちらにもあちらにも向くことはまま有る事ですね。
それをどのように捉えて行くか?は人それぞれの考え方かな?と思います。
地理佐渡さんの心の奥に考えて居た事と現実が多少ずれた事が、今日のタイトルの遠因でしょうか?
生意気な事を書いてしまいました。
スミマセン。