相川の市街地を抜けて外海府へ向かう県道左の海岸にある。駐車場もあるし、大きな岩を背景になかなかの景色なので、止まってゆっくり眺めてみると良い。
下記は同所にあった地図付属の説明書きからである。
鉱山がもっとも繁栄した元和期の奉行。この墓は弘化年間の造築である。鎮目は甲州の出身。
関ヶ原の合戦では秀忠の旗本に属し、信州真田攻に加わった。七本槍の一人と賞された。 奉行時代に功績があり、近世までこの墓辺で鎮目祭りがにぎやかだった。
相川観光協会HP (マップ検索で相川地区を選択)
追加写真①(背後に鬼ヶ城)
追加写真②(鬼ヶ城)
追加写真③(墓近くの岩1)
追加写真④(鬼ヶ城)
追加写真⑤(墓近くの岩2)
追加写真⑥(墓近くの岩3・墓と共に)
附記:追加写真の鬼ヶ城については、手持ちの地図から判断したものである。
---------------------------------------
写真撮影:2006:05.03 佐渡市相川
---------------------------------------
2006年 地理の部屋と佐渡島 sadorekisi
---------------------------------------
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
---------------------------------------
いろいろな角度の鎮目市左右衛門の墓を拝見すると・・・
1600年の戦いに参加した人物の墓所が250年もして再興?されたことを思うとき墓碑を建てるところを考え選らんだのだろうなとおもいましたが・・・
山国の甲州人が冬の荒波押し寄せる佐渡の地を思うとき
動かざること山の如しかな~と勝手におもったのですが・・
鎮目奉行の墓は相川の町郊外。千畳敷と呼ばれる
海岸線からすぐの所にあります。
人家がちょうど途絶えたあたりですので、美しい
岩と青い海に包まれています。墓はちょうど金山
の方を向いているような気がします。
そして、もしかしたらその延長線上に故郷甲州の
地があるのではと思うのですが..。
>冬の荒波押し寄せる佐渡の地を思うとき
なるほど、動かざること山のごとし..。
その山(金山)に携わる奉行ですしねぇ~。
今度、初めて佐渡へ観光に行くので、
いろいろ見させて頂いております。
この鎮目の墓は、自分のご先祖様(かもしれない)なので、
ぜひ立ち寄りたいと思っております。
場所はすぐわかりますでしょうか?
>この鎮目の墓は、自分のご先祖様(かもしれない)
なので、
いやいや恐れ入りました。
両津・佐和田方面から相川の町へ入ります。
相川の町へ着きますと、三叉路があります。
左手へ行きますと、七浦海岸へ。右折しますと
外海府の方へ..。
鎮目奉行の墓へは右手の外海府をめざしてください。
海岸沿いの道をとにかく行きます。
千畳敷(せんじょうじき)という景勝地を越えて
しばらくの後海岸側にぽつんとあります。
小さいですが標識もあったと思います。駐車場も
ありますし、安心して行ってみてください。
宿は相川でしたので、近そうですね。
明日(今日)から行きますので、
楽しんできたいと思います。
では。
佐渡旅行が天候と海共に恵まれたものになること、
風景や人と良い出会がありますこと、
そして、鎮目奉行の墓がすぐにわかりますこと、
願っております。