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旧畑野町(現佐渡市)郊外の水田地帯に下畑玉作遺跡がある。現場に行っても何かあるわけではない。わずかな空き地と看板があるだけだ。しかし、この様な説明の看板が所在地にあることは嬉しいこと。
玉作遺跡に限らず、縄文~弥生~古墳期等、島内各地には遺跡がある。こうやって、何もなくても通りすがりにその存在を知る機会が得られるというのが何とも言えない。この手のものの、よりいっそうの充実を望むが、それでも佐渡は多い方であると思う。
管玉、勾玉等の装身具を専門的に生産。きっと交易もされたに違いない。当然のことながら、生産・交易を取りしきるものの存在もあったわけで、リーダー(支配者的存在)がいたはずである。弥生期は身分の上下が芽生えた時代である。
以下は、下畑玉作遺跡にあった説明書きである。文中、土壙墓という言葉が出てくるが、コウの文字は略字であったが、PCの辞書の関係で難しい文字の方を使わせてもらってある。
なお、新穂には新穂玉作遺跡があるが、その説明についても、続けて載せておく。
【新潟県指定史跡 下畑玉作遺跡 昭和48年3月29日指定】
この遺跡は、弥生時代後期に鉄石英(赤石)、碧玉(青石)、瑪瑙(めのう)等を材料として細形管玉や勾玉などの装身具を製作した玉造遺跡である。昭和46・47年の2ヶ年にわたる発掘調査により多数の玉類及び未完成品、工具などのほか、我が国最初の弥生時代玉作工人たちの集団墓が発掘された。集団墓は各種の土壙墓により構成されていたが、なかでも第一号土壙墓は長さ4.85メートル、北側幅60センチメートル、南側幅55センチメートル、深さ40~60センチメートルの舟形をした長大なもので、割竹形木簡が入っていたものと推定された。これは弥生時代には類例が少なく、わが国でも最大のものに属している。他に四基の土壙墓が発掘されている。弥生時代から古墳時代への墓制の変遷を考えるうえに重要な意義を持つ遺跡として、全国的に注目されているものである。
新潟県教育委員会 佐渡市教育委員会
【新潟県指定 史跡新穂玉作遺跡 昭和27年12月10日指定】
新穂玉作遺跡は国府川が形成した標高10米の扇状地上に位置し、中江尻の小谷地区(A地区)、桂林地区(B地区)、北方の平田地区(C地区)、舟下の城の畠(D地区)の四地区からなる。
本遺跡は弥生時代中期の玉作生産工房跡である。竹の花式土器と多数の赤玉や碧玉の原石、細形管玉、角玉、勾玉等の玉に係る原石、未製品、完成品等が出土し、さらに石鋸、砥石、石針、石ノミ、小型磨製石斧等玉を作るための工具が発見されている。
全国で初めて弥生時代の玉作遺跡が実証された歴史的な遺跡群であり、その生産集団のあり方や玉作技術の研究のうえで欠くことのできない貴重な遺跡である。なお、桂林地区は昭和35年、36年に九学会により発掘調査された。
新潟県教育委員会 新穂村教育委員会
玉作遺跡に限らず、縄文~弥生~古墳期等、島内各地には遺跡がある。こうやって、何もなくても通りすがりにその存在を知る機会が得られるというのが何とも言えない。この手のものの、よりいっそうの充実を望むが、それでも佐渡は多い方であると思う。
管玉、勾玉等の装身具を専門的に生産。きっと交易もされたに違いない。当然のことながら、生産・交易を取りしきるものの存在もあったわけで、リーダー(支配者的存在)がいたはずである。弥生期は身分の上下が芽生えた時代である。
以下は、下畑玉作遺跡にあった説明書きである。文中、土壙墓という言葉が出てくるが、コウの文字は略字であったが、PCの辞書の関係で難しい文字の方を使わせてもらってある。
なお、新穂には新穂玉作遺跡があるが、その説明についても、続けて載せておく。
【新潟県指定史跡 下畑玉作遺跡 昭和48年3月29日指定】
この遺跡は、弥生時代後期に鉄石英(赤石)、碧玉(青石)、瑪瑙(めのう)等を材料として細形管玉や勾玉などの装身具を製作した玉造遺跡である。昭和46・47年の2ヶ年にわたる発掘調査により多数の玉類及び未完成品、工具などのほか、我が国最初の弥生時代玉作工人たちの集団墓が発掘された。集団墓は各種の土壙墓により構成されていたが、なかでも第一号土壙墓は長さ4.85メートル、北側幅60センチメートル、南側幅55センチメートル、深さ40~60センチメートルの舟形をした長大なもので、割竹形木簡が入っていたものと推定された。これは弥生時代には類例が少なく、わが国でも最大のものに属している。他に四基の土壙墓が発掘されている。弥生時代から古墳時代への墓制の変遷を考えるうえに重要な意義を持つ遺跡として、全国的に注目されているものである。
新潟県教育委員会 佐渡市教育委員会
【新潟県指定 史跡新穂玉作遺跡 昭和27年12月10日指定】
新穂玉作遺跡は国府川が形成した標高10米の扇状地上に位置し、中江尻の小谷地区(A地区)、桂林地区(B地区)、北方の平田地区(C地区)、舟下の城の畠(D地区)の四地区からなる。
本遺跡は弥生時代中期の玉作生産工房跡である。竹の花式土器と多数の赤玉や碧玉の原石、細形管玉、角玉、勾玉等の玉に係る原石、未製品、完成品等が出土し、さらに石鋸、砥石、石針、石ノミ、小型磨製石斧等玉を作るための工具が発見されている。
全国で初めて弥生時代の玉作遺跡が実証された歴史的な遺跡群であり、その生産集団のあり方や玉作技術の研究のうえで欠くことのできない貴重な遺跡である。なお、桂林地区は昭和35年、36年に九学会により発掘調査された。
新潟県教育委員会 新穂村教育委員会
数年前のある夏の日、ボーとしながらこのあたりを車で走っておりました。ヒマを持て余していたので、何となくドライブに出ていたのだと思います。
ひょいと見ると「遺跡」と書かれた案内板の様なものが・・・。気にかかり、急停車してバックでそこまで戻りました。
それが下畑玉作遺跡との出会いでありました。
水田地帯にいきなり遺跡が出現したので、随分と唐突な出会いと感じました。
「へー、こんな所にねぇ・・・」といった単純な感想しか持ちえませんでしたが、そこから出土したものは全国的にみても価値のあるものとのこと。佐渡の先人達の卓越な技術を感じます。
佐渡には意外に古代の遺跡も少なくないですね。その当時、実際にどんな生活だったのか覗いてみたいものです、絶対無理ですけれど(笑)。
歴史や考古学の好きな方にはたまらないでしょうね。
コメントありがとうございました。
現地に行ったことがあるとのこと。
本当に唐突な感じです。一方で、何もないというのがこれまたぶっきらぼう。
せめて、玉類のモニュメントくらい..。と感じます。
ただ、おおせの通り、考古の分野人には楽しい場所かも知れません。