団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

心神年内初飛行は厳しい

2015年11月29日 | ゼロ戦・大和

  今年の初めに初飛行が予定されていた心神が、未だに飛ばないことに、第5889回の「飛んだMRJ」でも、素直に喜べないと書きましたが、心配した通り、残念な記事がありました。

  何と、年内は無理どころか、来年の3月まで遅れる恐れがあるようです。それでも、計画が取り止めなんてニュースじゃなかったことに、すこしホッとしています。

   ニュースイッチ Newswitch by 日刊工業新聞社より   2015年11月21日

   先進技術実証機「年内初飛行は厳しい」 防衛装備庁幹部

   研究開発を進める先進技術実証機(防衛整備庁提供)

   防衛省は将来の戦闘機開発に生かすために研究開発を進めている「先進技術実証機」について、2016年1―3月をめどに初飛行させる方針 だ。当初計画から約1年遅れとなる。初飛行の後は16年度末までの1年強で技術の有効性などを検証。18年度ごろをめどに政府が次世代戦闘機を開発するか どうか判断する。新型戦闘機の開発が決まれば、設計や製造に関わる国内防衛産業に追い風となる。

   防衛装備庁幹部は同実証機の初飛行について「年内は厳しい」ことを明らかにした。エンジンなどに改善点が残っているとみられる。同実証機に関する防衛省と三菱重工業の契約は今月末までだが、数カ月間延長する方向だ。

    防衛省は将来の戦闘機開発に向け、3次元CADを用いた「デジタルモックアップ」や先進技術実証機、エンジンシステムなどの研究を並行して 進める。実証機は敵のレーダーに捕捉されにくいステルス性や高い運動性などを実証する機体で、三菱重工業小牧南工場(愛知県豊山町)で地上試験などを実施 中。初飛行は当初15年3月末までの予定だったが、エンジン改修などのため延期していた。

    日米で共同開発し、11年に生産を終了した戦闘機「F2」は、主契約者の三菱重工をはじめ約1100社が携わったとされる。一方で政府が 11年に導入を決めた次期戦闘機「F35」では、国内企業は最終組み立て工程やエンジン、電子機器の製造など一部しか手がけられず、防衛産業への恩恵は少 ないとの見方がある。

  これを一目見たいがために、何とか生き長らえたいと思いながら、今まで待ちましたが、来年まで果たして持つでしょうか。
  実際、MRJの初飛行には余り、期待もしていませんでした。何と言っても、エンジンから全て国産の戦闘機の開発こそが日本が生き残るためには絶対に必要だと思うからです。
  これだけは、何があっても、成功させてもらいたいものです。何としても、一目見たいものです。三菱さん頑張ってください。

来年3月まで、持つかな!

飛んだMRJ

2015年11月17日 | ゼロ戦・大和

  昨日は飛べない帰った来たゼロ戦を怒りを込めて書きましたが、今日は、飛んだMRJを喜びを込めて書けます。とは言いながら、何度かの延期に、どうなるのだろかと心配していたので、まだ不安が残ります。

  もう一つは、今年の春先に予定されていた期待の心神が未だに飛ばないことにも、素直に喜べないものがあります。同じ三菱さんなので、MRJを飛ばすことに全力を傾けたのだろうかと、好意的には取りたいのですが、やはり、何かあるのかと心配です。

  と、素直に喜べないところもありますが、やはり、離陸した瞬間は感動しましたね。ネットで見ていたので、その瞬間を見ることが出来たときには、やは り、嬉しかったですね。やはり、長い間抑えられてきた国産機が飛ぶのはこれ程に感激するものなのですね。これは、やはり、多くの日本人も感動したようで す。

   ブルームバーグより   2015/11/11

  MRJ初飛行が終了、国産旅客機で半世紀ぶり-「大成功に近い」 (2)

   国産初のジェット旅客機となる三菱リージョナルジェット(MRJ)の初の試験飛行が11日午前、約1時間半にわたって行われた。日本の旅客機が初飛行を行うのはプロペラ機のYS-11以来、53年ぶり。裾野が広い航空機産業の新たな時代の幕開けとなる。

   午前9時35分に県営名古屋空港(愛知・豊山町)を離陸。車輪は格納せずに出したまま飛行。南向きに航路をとり、太平洋沖の自衛隊の訓練空域を飛行のあ と、午前11時1分に同空港に着陸した。「初飛行は成功した。大成功に近い」と、開発する三菱航空機の森本浩通社長が名古屋市内で行われた記者会見で述べ た。これまでは図面だけの「紙飛行機だったものが空に舞ったということで、今後は一段の受注に結び付けたい」と話した。

   会見に同席したチーフエンジニアの岸信夫副社長によると、上昇、下降、左右旋回などを試験した。最高高度は4500メートル、最高時速は 約280キロに抑えられた。気象庁によると11日の名古屋の天気は晴れで、午前11時現在北北西の風3.7メートル。試験飛行を行ったのは初号機で、全長 35.8メートル、最大離陸重量が4万2800キロ。最大92席を収容できるサイズだが、座席は設置されていない。
 
   「非常にポテンシャルある」

   操縦を担当したテストパイロット歴約25年の安村佳之氏は「着陸の時、風はやや強くなったが、機体は非常に安定していた」と会見で述べた。乗り心地もよく、「非常にポテンシャルのある飛行機だと思う」と話した。

   最新の騒音基準や燃費性能などを武器に世界の航空機市場に向けて羽ばたくことを目指すMRJ。ハブ空港から地方への移動などに使用される 100席以下の旅客機の市場では、ブラジル航空機メーカーのエンブラエルとカナダのボンバルディアの小型機が直接の競合相手となる。MRJは約70席と約 90席の2種類が開発されており、三菱航空の親会社、三菱重工業ではこのクラスのジェット旅客機の市場規模は今後20年間で5000機と見込む。

   航空業界情報を分析する英アセンドのロブ・モリス氏は「われわれの見通しではMRJはボンバルディアを抜き、リージョナルジェットの供給で第2位になる」とみる。

   YS-11を約14年間操縦した全日本空輸の酒井哲機長(55)は「日本の技術の誇りを体現するような飛行機となってほしい」と話す。

   500人以上が立ち会い

   三菱重の発表によると、関係者や報道陣、あわせて500人以上が空港で初飛行に立ち会った。周囲の公園などでは見物客が見守った。

   航空経営研究所の副所長、牛場春夫氏は「認証取得、そして完成までの道筋が見えてきた」と話す。国内の地域間のみならず、中国と日本の地方都市を結ぶ路線にもMRJは「ぴたりと適合する」ことから、日中間の往来のさらなる活性化が期待できると指摘した。

   菅義偉官房長官は記者会見で「初飛行の成功は日本の航空機産業の新たな時代の幕開けでもあり、大変喜ばしい」と述べた。「政府としてはトップセールスなどを通じてしっかり支援を行っていきたい」という。

   初飛行は5度延期

   MRJは当初、2013年の完成・納入開始を目指していたが、開発計画の延期を繰り返し、現在の納入目標は17年4-6月だ。三菱航空では、台湾での高速鉄道の工程管理に使われたシステムを導入するなどして、遅延防止に取り組んでいる。

   10月最終週に予定されていた初飛行も同月23日、操舵用のペダルに改修が必要になったとして延期が発表された。初飛行の延期は5度目。 今後、日米で試験飛行を繰り返し、MRJが航空機として設計や製造過程が安全性及び環境適合性の基準を満たすことを示す型式証明の取得を目指す。

   これまでに国内外6社から407機を受注しており、最初の納入先は計25機(うちキャンセル可能なオプションが10機)を発注したANA ホールディングス。子会社の全日空で、MRJのオペレーションの責任者を務める満倉達彦取締役執行役員は初飛行に立ち会ったのち、「運航することができる 日を楽しみにしている」と記者団に述べた。


  どうやら初飛行の結果は良かったようですね。後は、無事に納品まで行ってくれることを期待しましょう。もしかしたら、三菱がボーイングなどを追いこす時が来るかもしれないと期待します。

  後は、心神の初飛行を今年中には見たいものです。帰った来たゼロ戦も三菱さんがバックアップして飛ばしてもらいたいものです。3機が一緒に飛行すれば素晴らしいでしょうね。

見たいものです!

★飛べぬ帰ってきたゼロ戦

2015年11月16日 | ゼロ戦・大和

  何時飛ぶかと期待して待っていた、第5098回の「帰れないゼロ戦」や第5533回の「帰ってきたゼロ戦」で取り上げたゼロ戦が、何時まで経っても飛んだと言うニュースがないので、どうしたんだろうと思っていたら、何だか、飛んでもない障害に阻まれているようです。

    西日本新聞より    2015年11月08日 

  世論の壁 飛べぬ零戦 鹿児島の飛行計画 スポンサー相次ぎ撤退

  悲劇の歴史を振り返り、平和への願いを大空に描こうと、鹿児島県で零式艦上戦闘機(零戦)を飛ばす計画が、高い壁にぶつかっている。昨冬、米国から修 復した機体を運び、今夏にも公開飛行のはずだったが、安全保障関連法案の国会審議をめぐって揺れる世論が風向きを一変させた。「戦争肯定」とのそしりを受 けることや、中韓での不買運動を恐れて手を引くスポンサーが相次ぎ、資金不足に陥った。主催者は「戦争賛美ではない。趣旨への理解を」と訴える。

  「今、零戦なんか飛ばしたら、戦争に賛成していると誤解を受けかねない」。安保法案の衆院特別委員会での審議が大詰めの7月、ある小売業者はこう話し、支援話を打ち切った。

  機体は現在、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地に格納されている。パプアニューギニアで爆撃された機体が約40年前に見つかり、その後、米国な どで修復。世界で5機の飛行可能な零戦の一つとされ、2008年にニュージーランドでフライトジャケット製造会社を経営する石塚政秀さん(54)が購入し た。

  昨秋、石塚さんは「戦後復興の礎となった日本の技術力を見直すと同時に、悲しい目的に利用された背景を考えるきっかけにしたい」と、知覧など特攻の拠点があった鹿児島での飛行を企画。今春、鹿屋基地から「隊員の教材にしたい」と保管の提案を受けた。

  飛行には、海外にしかいない操縦士の招致代や保険代など約3千万円がかかる。石塚さんはスポンサー探しに奔走。200近くの企業や自治体の関係者に会い、国へ飛行許可を申請した7月には、数社が支援の手を挙げていた。しかし-。

  同月中旬、衆院特別委で与党が強引に採決に踏み切ると、逆風が吹く。支援を検討していたメーカーは、隣国で自社製品が不買運動の対象となるのを懸念して辞退。「零戦は戦争を想起させる。鹿屋基地から飛べば、自衛隊のイメージも悪化する」との声も石塚さんの耳に届いた。

  機体の維持費は年末にも底をつく。スポンサーが見つからなければ、海外の競売に出さざるを得ない状況だ。「実際に空を飛ぶ零戦を見て、殺人兵器だと批 判する人もいるだろうし、格好いいと思う人もいるだろう。議論を呼ぶことが、戦争抑止や平和につながるはず。みんなが同じ方向を向くのが危ない」。石塚さ んはそう信じている。

  反日左翼どもの活動が、こんなところにも影響してきているとは全く腹立たしい限りです。降りるスポンサーも本当に情けないですね。戦後の、日本の劣化が諸に現われているようです。
  靖国参拝ができない日本政府と全く同じ情けなさと同じです。こんなことでは、日本再生なんて何時の事やら。

  もし、これで飛行が出来なくなって競売に出されるなんてことになったら、日本人の恥ですね。戦後、反日左翼の跋扈を許してきた、自民党を始めとして、日本人の責任です。
  何時までも、こんなバカげたことを許していたのでは、先人に会わす顔がないでしょう。やはり、大日本帝国憲法を取り戻し、日本人の手による新しい憲法を作っていかない限り、日本の存在理由は無さそうです。

  何とも、情けない限りです!

★帰ってきたゼロ戦

2014年12月02日 | ゼロ戦・大和

  第 5533回の 「帰っ てきたゼロ戦」が一般公開されたそうです。輸送時のまま3 分割された状態だそうです。

  産経新聞が動画をアップしてくれていました。分割されているので、これは、ちょっと見られない珍しい動画です。 今まで、見たこともない部分も見られて興味深いものがあります。    

   産経フォトより   
2014 年11月21日
  

   飛 行可能な零戦の操縦席【360°パ ノラマ】 - 360°パ ノラマ写真 - 産 経フォト

【動 画】飛行可能な零戦“里帰り” 細部まで公開   2014.11.22


  旧日本軍の零式艦上戦 闘機(零戦)が21日、さいたま市のさいたまスーパーアリーナで一般公開された。日本人が所有し、飛行可能な零 戦が日本へ“里帰り”するのは戦後初めて。公開は24日まで。

  機体は、輸送時にエンジン、主翼操縦席部分、機体尾翼部分の3つに分解されたときのまま展示されており、零 戦の内部を間近で見ることができる。操縦席には人だかりができていた。
 
  企画したゼロエン タープライズ・ジャパン(東京)によると、現存する飛行可能な零戦は世界中に5機。公開された機体 は1970年代にパプアニューギニアのジャングルで見つかり、修理を受け米国で飛行していた。先月、国内に輸送 された。

  所有者のゼロエンタープライズCEO、石塚政秀さん(53)は「昔も今も日本の技術力は世界に誇れるものだ ということを知って国民に元気になってもらいたい」と話した。戦後70年となる来年は、再び組み立てて日本の空 を飛行させたいとしている。

  実際に実物が目の前で飛ぶところも見たいですが、
こうして分解されたものも見てみたいもので す。それにしても、考えれば分解できることも分かるはずですが、こうやっ て分解されたものを見て初めて認識するのですから我ながら頭悪すぎです。

  来年は第 5419回の想像以上に凄い「心 神」とこのゼロ戦と興味深い飛行が見られそうで楽しみです。

ワクワクします!

帰ってきたゼロ戦

2014年11月12日 | ゼロ戦・大和

  第 5098回で取り上げた日本人が海外で所有していながら何だか訳の分からない理由で、「帰れないゼロ戦」が 帰ってきたそうです。
  帰国にはやはり何かと手続きなどあったようです。次は飛行させることにも面倒がありそうです。維持費も相当かかるよ うです。日本にとっては貴重な遺産です。何とか日本で飛ぶ姿を見たいものです。

  三菱重工が買い取って、第 5335回で取り上げた、来年初飛行と言われている平成のゼロ戦、「心神」ともに飛行させれば楽しいでしょ うね。  

  朝日新 聞デジタルより  2014年11月5日

   飛 べる零戦、米国から帰国 戦後70年に国内飛行計画

   米国で日本人が所有していた零式艦上戦闘機(零戦)が5日、日本に「帰国」した。今も飛べる機体で、6年がかりの 実現。戦後70年の来年、平和を願う国内飛行を目指す。

   零 戦特集ページ 動画や写真はこちら

  機体は三菱重工業製の22型で、パプアニューギニアで見つかり、米国人が購入し、ロシアでエンジンなど多くの部品を 交換して飛行可能な状態に修復され た。栃木県出身でニュージーランド在住の石塚政秀さん(53)が2008年に購入。「日本の技術力を世界に示したものづ くりの原点」と日本への輸送を企画 した。だが、年間3千万円の維持費がかかり難航。100人以上の協力と資金援助を得て、ようやく実現した。

  飛行可能な零戦は現在5機とされ、全て米国にあった。唯一の日本人所有のこの機体は9月、発見当時のエンジンと共に 横浜港に到着。日米当局から「武器 輸入」「軍用機輸出」と指摘され通関に手間取ったが、書類をそろえて「軍用ではなく、中古飛行機」と証明、5日にようや く入国し、三つに分解した姿で神奈 川県綾瀬市の保管拠点に着いた。零戦の計器板を複製・復元する活動をしている中村泰三さん(46)は「原形に近い状態で 復元されている。飛ぶ機体であり極 めて貴重」と述べた。

  次の目標は来年の国内飛行。飛べる状態を維持しての保存も目指す。飛行機の組み立て場所など詳細は未定で、飛行許可 や費用などハードルは高いが、「零 戦は近代日本を考える道しるべ。戦争を忘れず記憶し、平和を願いたい」と石塚さん。ネットで資金を募るクラウドファン ディングを6日に開始。企業スポン サーも募集する。零戦は、21~24日、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)で分解状態で有料展示する。問い合わせ はゼロエンタープライズ・ジャパン (03・5435・5568)。(吉村成夫)
 
  去年にはサポートクラブも立ち上がっていたようです。

   マイナビニュースより   2013/11/27

  2014 年の夏に零戦が日本の空を飛ぶ可能性が! - 零戦里帰りプロジェクト
 
  ゼロエンタープライズ・ジャパンは11月27日、米Zero Enterpriseが所有しアラスカ州に保管している零式艦上戦闘機(零戦)を日本国内で保存・管理するプロジェクト「里帰りプロジェクト」の具体的な スケジュールおよび「Zeroサポートクラブ」 を同日より発足したことを発表した。

  同プロジェクトは、同社取締役の石塚正秀氏がCEOを務める米Zero Enterpriseが所有するレストア済みの零戦を日本に移し、国内で動体のまま保存するというもの。早ければ2014年の3月にも国内飛行の準備をす るための"第一次里帰り"を行い、その後いったん米国に戻した後、9月に"本里帰り"をする予定。零戦を国内に移した後 は、博物館などで一般に展示するほ か、航空イベントなどで飛行を行う予定としている。

  一方のZeroサポートクラブは、零戦をいつでも飛行できる状態で維持管理するための費用を確保するために、会員か ら支援金を募る仕組みのこと。集 まった支援金は、零戦の輸送費、国内の駐車料、整備料などに充てられるという。会員には、イベントチケットの先行販売、 零戦搭乗写真の撮影などの特典を予 定している。

  今後の課題は、国内で維持メンテナンスする環境整備、保険、駐車場などの費用のほか、長期間日本で飛行・管理するた めに必要となる「JAナンバー」の取得(現在は米国所属のNナンバー)、国内で零戦を運転するためのパイロットの確保な ど。

  なお、零戦輸送中の事故、日米行政からの指導、世論からの反対などによって同プロジェクトは中止になる可能性もある という。万一中止になった場合は、理由を速やかに開示するとともに、サポートクラブの会員に対して返金を行う予定だとい う。

  やはり、維持も大変のようですね。ここは三菱さんに所有してもらうのが一番良さそうに思います。

  それにしても、心神が初飛行しようという年、それも戦後70年の節目に帰ってきて心神と一緒に飛行するなんてことに なれば、まさに日本の復活の象徴のような話ですが、左翼あたりが騒ぎそうな気もします。

  でも、見たいですね!

★零戦の真実

2014年11月07日 | ゼロ戦・大和

  空飛ぶ車」でも書いたように飛行機にはどうにも惹かれるものがあります。飛行機と言えばゼロ戦をどうしても思い出してしまいます。戦前にあれだけのものを造りだした日本人の凄さを思わざるを得ません。
  その
先人の精神の凄さにも敬意を払わざるを得ませんが、物資の不足する中世界に誇れる飛行機を造りだしたその頭脳にも驚かされるばかりです。
  これもやはり戦前の教育がそれだけ素晴らしかったとも言えそうです。現代にも先人に引けを取らないだけの頭脳の人はいるのでしょうが、何分戦後教育の為に精神力では比べるべくもないのが残念です。
  私の大嫌いな外務省なんかはもしかしたらその典型なのじゃないでしょうか。頭は良くても日本を誇りに思えない人達が集まっているからあれだけ日本の為になる仕事には熱が入らないのじゃないでしょうか。
  外務省の試験には頭脳だけでなく心のありようも取り入れるべきじゃないでしょうか。そうすれば、少しは日本の為になる仕事もするようになるかもしれません。

  と話がとんでもない所に飛んでしまいましたが、ゼロ戦についての素晴らしい動画があったのでアップします。ゼロ戦に関する新たな視点に目を覚まさせられました。


  大和の動画もありました。大和のCGが素晴らしいです。
 



平成のゼロ戦、「心神」

2014年04月28日 | ゼロ戦・大和

  第42話の「ゼロ戦」でも書きましたが、日本の誇れる技術で作られた「大和」や「ゼロ戦」を現代の技術で復活してもらいたいと思ってます。
  しかしながら、余りにも行き過ぎた日本の民主主義の現在、昨日も書いたように、日本中に新幹線を通すことすら実現できずにいます。エネルギー自立上の最大の武器である原発さえ動かすことも出来ずにいる今、ゼロ戦や大和の復元なんて到底かないそうもありません。
  ところが、平成のゼロ戦なる記事がありました。なんだろうと読んでみると、「心神」という第6世代の戦闘機の開発が進んでいるのだそうです。これは楽しみです。   

     東洋経済オンラインより  2014年04月20日

  平成のゼロ戦、「心神」が年内初飛行へ
  第6世代戦闘機となる"カウンターステルス機"の礎
  高橋 浩祐 :ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員 

  宮崎駿監督の最後の長編アニメ映画「風立ちぬ」、そして百田尚樹原作の「永遠の0(ゼロ)」の興行ヒットで、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)への人々の関心 や哀愁の念が高まっている。そんな中で、日本人の心をさらに引きつけそうな呼び名を持つ「平成のゼロ戦」が今年中に登場する。

  将来の国産ステルス戦闘機の試作機となっている「先進技術実証機」(通称・心神=しんしん)が、年内に初飛行するのだ。小野寺五典防衛相が4月10日の参議院外交防衛委員会で、心神の今年中の初飛行を改めて明言した。

  防衛省技術研究本部(技本)の関係者は「もともとゴールデンウィーク明けの5月にも心神をマスコミ陣にロールアウト(お披露目)する予定だったが、数カ月遅れている。初飛行は今年ぎりぎりになるかもしれない」と述べた。
ゼロの遺伝子を持つ「心神」

  試作機とはいえ、事実上の「日の丸ステルス機」の第1号となるのが、心神である。技本は、1995年度から「実証エンジンの研究」を開始。2000年度か らは機体のステルス性能試験やエンジン部分の推力偏向装置の開発を目的とする「高運動飛行制御システムの研究」も併せて実施した。そして、2009年度か らは8カ年計画で「先進技術実証機」の予算項目の下、心神の機体製造や飛行試験など試作費用だけで392億円の予算を確保していた。

  心神は現在、主契約企業の三菱重工業が、ゼロ戦を生んだ同社の名古屋航空宇宙システム製作所(旧・名古屋航空機製作所)の小牧南工場で、初飛行前の最後の 大仕上げ作業が施されている。つまり、心神はゼロ戦と同様、名航で誕生するわけであり、その意味で「ゼロの遺伝子」を受け継いでいるといえる。今年後半の 初飛行での成果を踏まえ、2016年度までに開発を終える予定だ。

  そもそも「心神」という名称の由来は何なのかが気になるだろう。もともとは、技本の中の人間が愛称として使うようになって、それが定着したのだという。

  近代日本画壇の巨匠である横山大観が、富士山を日本の「心神」と呼んでおり、富士山の絵を、多く描いたことで知られる。たとえば、1954(昭和29)年 5月6日付の朝日新聞の記事の中で、横山は次のように富士山について述べている。「古い本に富士を『心神』とよんでいる。心神とは魂のことだが、私の富士 観といったものも、つまりはこの言葉に言いつくされている。・・・(エベレスト)は世界最高の山だけに、さすがに壮大で立派だった。・・・素晴らしい壮大 な山だとは思ったが、富士を仰ぐ時のような、なんというか清々とした感情はわかなかった。富士は、そういう意味でも、たしかに日本の魂だと、その時も思っ たことだ」。

  つまり、心神という名称には、「日本の魂」という思いが込められているようだ。

  エンジンは双発。IHIが主契約企業となってアフターバーナーを備えたツイン・ターボファン方式のジェットエンジンXF5-1を開発した。最大出力は各約 5トンで、2つ合わせて10トン級。各エンジンの出力方向を機動的に偏向するためのエンジン推力偏向パドルをエンジンの後方に3枚ずつ取り付け、エンジン の推力を直接偏向できるようにした。

  この推力偏向パドルと、エンジンと飛行双方の制御を統合化したIFPC (合飛行推進力制御)技術によって、「従来の空力舵面では不可能な高迎角での運動性を実現した」と技本は説明する。つまり、この高度な制御技術を使えば、 これまでだったら迎角が50度を超えて失速しそうな飛行場面でも、機体制御が可能となり、空中戦での戦闘能力が高まるとみている。

  このほか、主翼と尾翼は富士重工業、川崎重工業が操縦席を製造している。機体の約3割に炭素繊維強化プラスチック(CFRP)が使われ、軽量化されている。
 
  IHI製のエンジン(筆者撮影)

  心神は全長14.2メートル、全幅9.1メートル、全高4.5メートルの単座式だ。「世界最強のステルス機」とされる米国のF22やF2よりは小さく、T4中等練習機よりは大きい。最大速度は明らかになっていない。

  心神は、F2戦闘機の後継機となる将来の「第6世代戦闘機」であるF3の生産に向けたプロトタイプ(研究試作機)である。つまり、防衛省は、心神を「第5 世代戦闘機」と呼ばれる現在のステルス機の上を行く、「第6世代戦闘機」のカウンターステルス機の礎にすることを目指している。

  航空自衛隊(空自)は昨年3月末現在で、ベトナム戦争で名を馳せた第3世代のF4を62機、主力戦闘機である第4世代のF15を201機、そして、米ゼネ ラル・ダイナミクス(後にロッキード・マーチンが軍用機部門を買収)のF16Cをベースに日米で共同開発された第4世代のF2を92機それぞれ有してい る。

  このうち、老朽化して退役が迫ったF4の後継機として、2011年12月、民主党時代の野田佳彦政権の下、日本政府は米国主導で国際共同開発中のF35を次期主力戦闘機(FX)として選定した。…以下略

  参照:ウィキペディアより  先進技術実証機 (航空機)

  日本で戦闘機の製造何てもう夢なのかと思ってましたが、こんなのが開発されていたとは驚きです。それが、今年の後半にも初飛行が見られるなんてワクワクしますね。現代の日本の技術でどの程度のものが出来上がるのか楽しみです。
  早く見たいものです。

  流石に心神の動画は無いのでゼロ戦のを上げておきます。

Flight Demo of Genuine Japanese Zero with ORIGINAL WWII Sak 

 小牧基地航空祭2010 ATD-X(心神)モデル ATD-X TRDI MoD Japan

日本の復活も近いのかも!

ゼロ戦

2014年01月21日 | ゼロ戦・大和

  突然ブームになったゼロ戦に昔からのファンとしては戸惑いを覚える面もあります が、戦前にこんなに素晴らしい技術があったと誇れることは嬉しいですね。

  願わくば、大和と共に最新の技術で復活させて欲しいものです。そのくらいの遊び心 が国にあっても良いんじゃないでしょうか。

三 菱零式艦上戦闘機52型 MITSUBISHI A6M5 TYPE ZERO ゼロ戦

零 戦&ムスタング 組み立てから飛行まで 超貴重映像 1/3

 零 戦&ムスタング 組み立てから飛行まで 超貴重映像 2/3

 零 戦&ムスタング 組み立てから飛行まで 超貴重映像 3/3

 


帰れないゼロ戦

2013年09月03日 | ゼロ戦・大和

  第 4962回第 5022回で何度か取り上げたゼロ戦が今ジブリの「風立ちぬ」で話題になっていますが、宮崎 監督の左翼発言を聞いてしまっては幾ら好きなゼロ戦と堀越さんの映画といえども見に行くことはありません。 ただし、何年か後にテレビでやればやはり見そうです。

  これも「はだしのゲン」 と同じで誰かが仕組んだ宣伝かもしれませんが、あのゼロ戦が日本に帰ってこれないという話題がありました。

  Business Media 誠より  8月29日

  日 本人所有の零戦が日本に「帰還」できない理由 (1/5)

現存する飛行可能な零戦を日本の財産と して帰国させる動きがある。しかもそれは日本人が所有しているというのだ。だが、なかなか前進しないのはなぜな のか?[伊吹太歩,Business Media 誠]

  ・・・略

  実際に飛行できる本物の 零戦を日本人が所有している

 そして現在、実際に飛行で きる零戦は世界にたったの4機しか存在しない(レプリカは除く)。マイ クロソフトの共同設立者で戦闘機コレクターとしても知られるポール・アレン氏、米カリフォルニア州の飛行機 コレクターであるスティーブ・ヒントン氏、航空ショーなどを主催する団体であるコメモラティブ・エアフォー ス(CAF)がそれぞれ1機ずつ所有している。

零 戦動画 2011 08

 

  そして残りのもう1機(22型)は、日本人が所有している。他の機体よりも最も「本物」に近い飛 行ができると呼び名も高いその1機は、ニュージーランド・クライストチャーチ在住の日本人、石塚政秀氏が所 有する。

  そもそも現存する飛行可 能な零戦のほとんどを米国人の所有しているというのも悲しい話ではないか。だが石塚氏が所有する1機も米国で登録・保管され、日本への「帰還」は果たせないでいる。だが石塚氏 はその零戦を、何とか日本に里帰りさせようと奔走している。…中略

  ただ日本の場合は、戦時 の「遺産」であることで問題になる可能性もある。日本を象徴する零戦が、「諸外国」を刺激するかもしれないから だ。安倍晋三首相が就任し、中国や韓国などから日本社会の右傾化が指摘される現在、戦時の象徴的な戦闘機を帰国 させることには賛否があるだろう。だが純粋に日本人の作り上げた当時斬新だった飛行機として、日本人がその偉業 を讃えることは何ら悪いことではない。…以下略

零 式艦上戦闘機五二型

 

  下の52型は上の話題と は関係ないものですが折角見つけてたのでアップしました。
  
  それにしても、何とも情けない国ですね。靖国参拝と同じ匂いがします。こんなものは有無を言わさず国が 買い上げて国立博物館のようなところに飾って当然でしょう。三菱が何故手を上げないのかも不思議です。三菱 ならきちんと整備して長い間飛ばすことも可能でしょうに、やはり国と同じで中・韓が怖いのでしょうか。
  私なんか、持って帰るどころか、大和とともに今の技術で復元して日本の誇りとして世界中を回ってもらい たいくらいです。

  国の宝と言っても過言で ないゼロ戦一つ持って帰れないなんてどんな国なんでしょう。本当に、中・韓の工作による日本の弱体化が見事に浸 透してしまっているようです。早く何とかしないと日本は本当に無くなりそうです。やはり国交断絶しかないようで す。

本当に腹が立 ちます!


ゼロ戦日本の空を飛ぶ

2013年06月20日 | ゼロ戦・大和

  第 4946回の50年振りの大和で書いたように、子供の頃から軍艦や飛行機が大好きでした。戦争の何 たるかはもちろん知りませんから、純粋にその姿の格好良さにひかれていたのかもしれません。軍艦が大和と言え ば、戦闘機は当然ゼロ戦です。次に作るラジコンはゼロ戦にしたいと思ってましたが、結局手を出さずじまいで終わ りました。
  しかしながら、あの格好良さは現代にも通用するほどの出来栄えじゃないでしょうか。大和にしろ、ゼロ戦にし ろ、ここでも戦前の日本人の凄さを思い知らされます。本当に、今の日本人とは人種が違うようです。本当に、教育 の大事さをひしひしと思わされます。
  さて、そんなゼロ戦で実際に飛行できるものが残っているのだそうです。その貴重な映像がありました。まさか 本物が飛んでいる姿を見れるとは思いませんでした。やはりどう見ても素晴らしいですね。

零 戦 日本の空を飛ぶ

 

   きっと現代の飛行機から見れば時代遅れなのでしょうが、見びいきかもしれませんが今でも世界に通用する美しさだと 思ってしまいます。現在の技術でこのゼロ戦を再現したらどのくらいの性能になるのでしょう。戦前の日本人の素晴らし さを再評価するために大和とともに現代に再現させてみてはどうでしょう。

是非、見てみたい!


50年目振りの戦艦大和

2013年04月04日 | ゼロ戦・大和

  無茶苦茶懐か しいものが突然目の前に現れました。もうとっくに処分したと思っていたのですが、我が女房様が捨てるに忍びなく押入 れの奥にしまいこんで忘れていたようです。息子が掃除をしていて見付けだしてくれたのです。なんと約50年前のもの です。さすがに多くの部品が無くなっていますが結構見られるものでした。
  それはこの部屋でも第 3879回第 4748回などで何度か書いたことがある戦艦大和の模型です。それも物も金もない時代ですから殆ど 木と竹で作ったものです。小学校の頃から造りだし、何度も改修しながらラジコンで動かすようにするために何年も お年玉を貯めてやっと1万円ちょっとで買った当時一番安かった1チャンネルの確か日の出というメーカーの送受信 機のセットを買って作ったものです。出来上がったのは高校生になってからだったと思います。
  サーチしてみたら、同じような人がいました。こちらは飛行機です。ラ ジコン40年前の送受信機 

何と、あの日の出に勤めていたと言う人もいました。 ラジコンショップシ ムラモデル

お金の無い私は飛行機は飛ばすのは難しそうだし、壊れたら 大変ということを考え手を出しませんでした。ゼロ戦のスケールモデルを作りたかったのですが諦めた覚えがあります。 やはりこのころから根性無しだったようです。
 今見ればやはり荒い作りで人様に見せることができるようなものではないですが、それても結構細かく作ってい て、我ながら、良くこんなものを作ったものだと感心します。今の私にはこれだけの根気はないでしょうね。そう考 えると、私の絶頂期は高校くらいまでだったのかも。それでも未だに当時どうやって作ったかなんてことを覚えてい ますから余程入れ込んでいたようです。
  実物の200分の1の縮小で作っています。1.3mくらいですから当時としては結構大きかったつもりです が、今ではこんなものかという感じです。ということで、記念に動画を撮ってみました。

戦 艦大和の模型 

 思い出すことはあっても、とっくに処分したものだと 思っていただけにやはり懐かしいものです。なんだか、このところ、自分のことを書くことが多くなったような気がしま すが、もしかしたら、そろそろ終わりが近づいたのでしょうか。

こりゃ面白いかも!