日本史や世界史の面白くないのは当然だったようです。ねずさんがそれを頼朝の鎌倉幕府を例に教えてくれています。
やはり、本物の歴史教育を受けたかったものです。残念です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/19
頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか
・・・略
さて本日、まずはじめに申し上げたいことは「社会科と歴史学は違う」ということです。
戦後、GHQは、教育指令によって日本での歴史教育を禁止しました。
その禁止された状態で、日本の国会議員が中心となって、なんとか日本の子どもたちに歴史教育の片鱗でもいいから復活させたいと願い、復活したのが「社会科の中の歴史的分野」としての日本史であり世界史です。
社会科というのは、あくまで社会常識として知っておくべき知識を与える教科です。
ですから「鎌倉幕府は1192年にできました」、以上おしまいです。
それだけでもいいから歴史教育を復活させようとしてくださった終戦直後の政治家の先生方の努力は、素晴らしものがあります。
けれど、昭和27年に主権を回復した後の日本が、2024年の現代においてもなお、歴史教育を社会科のままにしておいたことは、完全な政治の怠慢です。
社会科と歴史学は違います。
歴史学であれば、事実に基づき、なぜ幕府が鎌倉に置かれたのかを、論理的に考えさせることが授業の主題です。
考えることが主題ですから、ここに正解はありません。
事実に基づいて自分の頭で考えること。
その考える力を過去の歴史を通して養うのが、歴史の授業です。…中略
頼朝が幕府を中央から遠く離れた鎌倉に置いた理由。
それは、新田の開墾百姓たちにとっての最高権威の確立によって、流血を防ごうとした。
それは縄文以来の、流血を嫌う日本人の古くからの知恵に基づくものであったのです。
これはすごいことです。…中略
つまり源平合戦は、
貴族と米蔵を一致させた清盛派と、それに従う武士団と、
あくまで新田の米蔵は別であるべきと考える武士団が、
それぞれ平宗盛と源頼朝を押し立てて戦った
と考えなければ、歴史解釈の辻褄が合わなくなるのです。
以上の解釈には、異論反論もあろうかと思います。…中略
以上の解釈には、異論反論もあろうかと思います。
けれど歴史には、過去に起きた事実はあっても、「これが正解だ」というものはありません。
100人の歴史学者がいれば、100通りの解釈があるというのが、歴史学です。
つまり、反対意見があって良いのです。
こうした学習により、生徒たちは、自分の意見だけが正しいのではなく、人によって、あるいは立場によって、さまざまな理論や意見があるということを認知する力を得ることができます。
人それぞれが顔貌が違うように、人それぞれ意見も違うのです。
その意見の異なる人達が、一緒になって何か事を為す。
そのためには何が必要なのかといえば、みんなに納得してもらえる自分に、自分が成長するしかないのです。
ここに「みがき」という日本古来の価値観との共通性があります。
歴史にある年号や事件名、人物名をいくらたくさん暗記しても、そんなものは人生において何の役にも立ちません。
けれど、過去の事例を通じて、様々な人間模様を学ぶことは、自分自身を「みがく」ことにつながります。
ここに歴史教育の真の目的があります。
ひと昔前までは、「男子は生涯一事を成せば足る」と言われました。
先人たちの過去を学べば、どんな聖人君主とされる人物であっても、悩み苦しみ、世間から後ろ指をさされてきたことがわかります。
百点満点の人など、この世にはいないのです。
どこか、みんな、欠陥車なのです。
そして欠陥車だからこそ、一生懸命に努力し、時代を拓いて行ったのです。
それが「生涯一事」の意味です。
歴史学は、そうしたことにも気付きを与えてくれる学問なのです。
「むすび大学チャンネル」でもねずさんが歴史学の面白さを取り上げてくれています。
それにしても、こんな素晴しい歴史を持つ日本で歴史を教えないのは何とも悔しいですね。そんな教育をして罪悪感が無いのでしょうか。
何とも勿体ないことです。
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