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がんばっぺ フラガール!

2013年03月11日 20時42分11秒 | 邦画2011年

 ◇がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~(2011年 日本 102分)

 staff 監督/小林正樹 撮影/吉田誠 音楽/ジェイク・シマブクロ

     製作/ジェイ・シネカノン 特別協力/スパリゾートハワイアンズ

 cast マルヒア由佳理 大森梨江 裕二ALEX 蒼井優(ナレーション)

 

 ◇平成23年(2011)10月1日、ハワイアンズ一部再開

 なんて時間の経つのは早いんだろう。

 2011年3月11日、ぼくは自宅マンションにいて、

 遅めの昼食を取ろうとして、蕎麦をゆでてた。

 その頃、めまいがひどかったから、

 ああ、今日のめまいはひどいな~とおもってたら、

 いよいよ揺れが大きくなり、かなり長い間、ゆれてた。

 テレビをつけたら、信じられないような事態になってた。

 ぼくの住んでいるあたりは被害という被害もなかったけれど、

 東北はそうじゃなかった。

 その惨状は報道でしか知ることができなかったから、

 たとえば、この「ハワイアンズ」の人々が、どれだけ恐ろしい思いをしたか、

 また、その瞬間から半年後の再オープンにいたるまで、どれだけ苦しい思いをしたか、

 ぼくなんかの想像力では、とてもカバーできない。

 東北大震災をきっかけにして、いろんな映画ができた。

 原発関連のものもあれば、被災地の現状を伝えるものもある。

 また、つい最近、東北でロケをしたところが被災地になってしまった場合もある。

 それはいろいろなのだけれど、

 さまざまな映画を見ることによって、

 多少なりとも、大震災のもたらしたものについて、すこしは想像できるようになってきた。

 でも、いまだに被災地を訪れたことのないぼくには、ほんのすこししか理解できていない。

 この3月10日から11日にかけて、

 東北の太平洋岸には大勢のボランティアが詰めかけて、

 海岸や港やその周辺にいまだに残されている瓦礫の撤去や清掃をしたり、

 水産業者とか漁業関係の人達のお手伝いをしていた。

 ぼくは、できなかった。

 すくなくとも「ハワイアンズ」に出かけて、拍手をすることくらいはできるはずなのに、

 毎日の忙しさにかまけて、なにもできずにいる。

 いかんよね。

 復興支援はいろんな形があって、体力に自信のない人間でも、

 被災地あたりに出かけて、宿泊したり、ご飯を食べたり、お土産を買ったりできるはずで、

 汗を流してるボランティアとは比べるべくもないことかもしれないけれど、

 今年は、なんとかして東北に出かけたいっておもってるんですわ。

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20世紀少年 最終章 ぼくらの旗

2013年03月05日 20時10分03秒 | 邦画2009年

 △本格科学冒険映画 20世紀少年 最終章 ぼくらの旗(2009年 日本 155分)

 英題 Twentieth Century Boys 3: Redemption

 staff 原作/浦沢直樹 監督/堤幸彦 脚本/長崎尚志、浦沢直樹 脚本協力/渡辺雄介

     撮影/唐沢悟 美術/相馬直樹 主題歌/T・レックス「20th Century Boy」

     音楽/白井良明、長谷部徹、Audio Highs、浦沢直樹

 cast 唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 香川照之 佐々木蔵之介 平愛梨 宮迫博之 黒木瞳

 

 △一六、三八、四九、五十

 いちろく、さんぱち、しく、ごっとう、というのは、朝市の出る日の数え方だ。

 ぼくの故郷では、

 4つの路地に野菜を中心にした朝市が出、それぞれの市が立つ日は決まっている。

 月の内、一と六の日、三と八の日とかいって、それぞれ、いちろく、とか、さんぱちとか、いう。

 二九(にっく)は、市がお休みの日なんだけど、

 日曜だけ休んで、後は年がら年中、常設されている市もあった。

 雑貨や洋服をあつかっている市場で、戦後の闇市がそのまま残ったものだ。

 といっても、こちらの雑貨市は昭和40年代の前半くらいまでしかなかった。

 神社とお寺の隣り合った小路が、ひと筋そのまま市場になっていて、

 お寺の門前には団子屋が、薬師堂の前にはおでん屋があった。

 洋服屋や電機屋もあり、どれもみんな戸板を立てたようなバラック建てか、

 三島屋のように幔幕を張り巡らせただけのものもあった。

 ただ、簡易式の屋根だけはどの店にもあったから、

 若造時代の万丈目がフクベエ達を相手にしていたような露天商というわけでもなかった。

 アポロ11号が月面着陸したとき、酔っ払いが「あれは嘘だ」とくだを巻いていたのも、

 この市場の入り口になっている辻に立つ串専門の屋台で、

 やけに顔立ちのいい、白髪の退役軍人さんがトン串を焼き、ドテを煮てたっけ。

 原作で、昭和のテーマパークを「ともだち」が造ったとき、

 下町の匂いまでそのままになっているというユキジの台詞があったけど、

 たしかに市場は特有の匂いがあった。

 懐かしく、離れがたい匂いだ。

 くれよんシンちゃんではヒロシの靴下の匂いがその懐かしい匂いに勝つんだけど、

 たしかに、市場の匂いは懐かしさに満ちた昭和の象徴なのかもしれない。

 それはさておき、

 原作と映画が異なるのは当たり前のことで、

 それぞれ別個な作品とおもった方が気が楽だ。

 だから、この最終章もそういう気持ちで見ればいいんだけど、

 なんていうのか、ちょっぴり違和感みたいなものも感じてしまった。

 原作うんぬんの話ではなく、独立した映画作品としての話だ。

 たとえば、

 北海道でコンチと13号が出会い、ヘリで飛び立ってゆくとき、

 ぼくらの旗を掲げた蛙帝国のトラックとがほぼ一緒に旅立ったんで、

 あ~これは途中でトラックが立ち往生してヘリが助けて一緒に行くんだな~、

 だって、別れ別れになった友達が旗の下にひとりずつ戻ってくるのが主題でしょ、

 とおもってたら、あにはからんや、まるで並行移動だった、

 とか、

 円盤が飛来するのは、実は万博のコンサート会場で、

 しかも、ようやく駆けつけたケンヂが歌を歌おうとしたときで、

 さらに、細菌の雨が降る中、ヘリが駆けつけて、

 仲間がちからをあわせてワクチンを打ってくんだろな、

 だって、そのために12時間の潜伏期間を設定したんでしょ?

 で、ここに細菌をまき散らすから二足歩行ロボットに乗って撃墜するんだろな~、

 主人公たちが「ともだち」は万博会場を破壊しないと信じているのに、

 それがおもいもよらない形で裏切られるのが映画の醍醐味だもんね、

 とおもっていたら、2015年のウッドストックとロボットとの対決はまるで別場所だった、

 とか、

 フクベエの正体はかなり早い時期にわかって、

 鮒の解剖の前日に死んじゃったカツマタ君の疑惑が徐々に出てきて、

 その正体を暴くのは昭和のテーマパークの中か、コンサート会場になるんだろな~、

 「ともだち」との対決はやっぱり万博会場で、ラストは昭和の秘密基地でなくっちゃな~、

 とおもっていたら、一連のクライマックスが終わってから野っ原にフクベエの登場で、

 しかも、いまさら本格サスペンスまがいのヨシツネ犯人説とか展開しちゃうわけ~?

 とか、

 「ぼくらの旗」っていう副題にしてるんだから、

 ひとりひとりの再会を丁寧に描いていって、

 みんなで揃って戦いに挑んで、やがてコンサート会場に翻るんだろな~、

 そのときはボブ・レノンを40万人が大合唱しないとケツが締められないでしょ、

 とおもっていたら、旗の話なんて途中でどっかにいっちゃって、

 なんだか小さなロックコンサートのスタッフみたいになってるだけの仲間達なんだね、

 とか、

 中学の放送室占拠の日が、

 ケンヂとカツマタ君の終わりのやりとりで、それが新しい始まりになるんだろうけど、

 そのときまで「ごめんなさい」はいえずにいるんだろうな~、

 とおもってたら、なんのことはない、駄菓子屋ジジババの店先でやっちゃうんだ~、

 とかね。

 ともかく、途中から期待してた展開がことごとく裏切られるとは、

 まるでおもってなかったわ、まじで。

 つまり、原作は置いといた上での話だけど、

 脚本の流れが途中でぶつぶつと途切れて、

 クライマックスが2度あるのは仕方ないとしても、

 最初の対ロボットのクライマックスに収束していかないのは、

 なんだか燃焼不良なまま、だらだら続いている観があったし、

 CGが見せ場になるよりも秘密基地の仲間の友情の復活と、

 世界の憎しみの対象になってゆく旗の復権が見せ場になった方がよくない?

 とおもわず口に出てしまいそうだったわ。

 とはいえ、

 おかげで懐かしい風景をおもいだすことができただけでも見た甲斐はあったのかも。

 ちなみに実家のちかくの旧闇市(常設市場)が無くなったのと、

 大阪万博expo70が開催されるのと、ほぼ同時期だった。

 そうしたことからすると、大阪万博(一般博)ってほんとに時代の変わり目だったんだね。

 万国博覧会は、その後、

 沖縄海洋博(特別博)、つくば万博(同)、大阪花博(同)、愛知万博(登録博)とか、

 4回あったけど、どれもいまいち盛り上がらなかった。

 愛・地球博はちょっぴり期待したけど、

 もう「人類の進歩と調和」なんて綺麗事を信じられるような時代じゃないのかな。

 映画では、東京万博は2015年に開催されるんだけど、

 やっぱり、半世紀ぶりの2020年に大阪で開催されないかな~、

 もちろん、認定博覧会(旧特別博)じゃなくて登録博覧会(旧一般博)ね。

 てなことを夢想してしまうのでした。

 おしまい。

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20世紀少年 第2章 最後の希望

2013年03月04日 00時36分59秒 | 邦画2009年

 ◇本格科学冒険映画 20世紀少年 第2章 最後の希望(2009年 日本 139分)

 英題 Twentieth Century Boys 2: The Last Hope

 staff 原作/浦沢直樹 監督/堤幸彦 脚本/長崎尚志、渡辺雄介 脚本監修/浦沢直樹

     撮影/唐沢悟 美術/相馬直樹 主題歌/T・レックス「20th Century Boy」

     音楽/白井良明、長谷部徹、Audio Highs、浦沢直樹

 cast 唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 香川照之 宇梶剛士 小日向文世 木南晴夏 黒木瞳

 

 ◇秘密基地。

 なんて魅惑的な言葉なんだろう。

 幼稚園のとき、運河沿いの地蔵堂の床下は、ぼくらの秘密基地だった。

 土壁に囲まれて、多少のカビ臭さはあったけど、夏は涼しく、冬は暖かな秘密の場所だった。

 基地を作るという技術のなかったぼくらは、小学校になると薬師堂の堂内に集まった。

 夏、お盆の頃になると六双の地獄絵が架けられ、それはそれは不気味な空間だった。

 高学年になり、万博を経験した後、秘密基地はいよいよ本格的なものになった。

 白木の瓶箱を積み上げても、電話線のドラムで囲っても不満だったぼくらは、

 ついにトタン板を空き地に持ち込み、穴を掘って掘立小屋を作り、

 やがては土を背丈よりも深く掘り、その上にトタンを張って、秘密の地下基地を作った。

 アルコールランプはなかったから、蝋燭を持ち込んで灯かりにした。

 基地はできるまでが愉しく、完成するとその魅力は半減したけれども、

 やっぱり空き地が駐車場になってしまったときには、いうにいわれぬ悲しさに包まれた。

 基地を作るのは、駄菓子屋でお菓子を買うまでに似た高揚感がある。

 駄菓子も買うまでが愉しく、選んでいるときのどきどき感はたまらない。

 当時、壱文菓子屋は何軒かあったけど、いちばん通ったのは屋台の三島屋だった。

 6年生のあるとき、クラスで仲の良かったやつの家に遊びにいったとき、

 土間に「三島屋」と染められた暖簾の掛かった屋台が置かれていて、

「お、なんだ、こいつのばーちゃんだったのか」

 と、気がついたときにはちょっとびっくりしたもんだけど、ともかく、

 そのばーちゃんが門前まで屋台を引いてきて、幔幕で囲み、日がな一日、そこで商いしてた。

 いちばん安いのは一個一円の三角菓子で、高い籤引きになると30円はしたっけ。

 塾へ通う道すがらに買うのは揚げたてのコロッケで、それは小学生の貴重な活力源だった。

 コロッケを買って食べたのは道端か公園だったけど、駄菓子は薬師堂でよく食べた。

 その内にお小遣いの使い道はプラモデルに、旅行先では三角ペナントに移っていった。

 ラジコンカーとプラモデルもやがて興味が失せ、雑誌は買わずに漫画の単行本を買った。

 漫画好きに共通しているのは「折るな、汚すな」で、開くときは45度を厳守した。

 教科書はぐりぐり折り目をつけて開くのに、漫画だけはそうはしなかった。

 ぼくたち田舎の少年には、東京タワーも都電もなかったから、漫画だけが心の支えだった。

 おかげで、いまもぼくの帯付き初版単行本のあらかたは、ぴんぴんのまま保管されている。

 オタクという言葉はなかったし、マニアなんていう単語がかろうじて生まれる頃の話だ。

 ところで。

 第1章に比べると、第2章はかなり原作とは異なっている。

 理科室の件が上手にまとめられ、あらすじに変化は生じているものの、

 複雑な話が判り易く展開している。

 にしても、いったい、どんな科学技術を使うと、脳内にあんな過去が創出できるんだろう?

 ま、そんなことはいいとして、鮒の解剖の前日に突然死んじゃったカツマタ君、

 そろそろ謎解きに絡んでくるのかな~とおもっていたら、

 その象徴になってる忍者ハットリ君の首吊りと、首吊り坂のてるてる坊主の首括りだけだった。

 けど。

 ケンヂたちが自分たちを正義の味方と信じ、友民党が悪の教団と断定される「よげんの書」が、

 救世主の立ち上がりと暗殺にいたる「しんよげんの書」に移っていくに連れて、

 ケンヂたちがスケープゴートとして悪の教団にすり替えられてしまう筋立ての巧みさは、

 さすがに浦沢直樹の話運びの上手さというべきなんだろうか。

 いじめ、仲間はずれ、カツアゲ、ばい菌、無視、絶交、プライドの崩壊。

 少年特有の無邪気な残酷さと決して消えない心の傷、そして同時に、罪の意識。

 おそらく子供だった頃には、大小の差こそあれ、誰もが感じてきただろう辛い記憶の欠片。

 それが、浦沢直樹の筆によってまのあたりにされてきたし、またこのたびの映像化でも、

 少年の日々は決してきらきら輝いていただけじゃないと改めて自覚された。

 昔の日々を蘇らせてくれただけでも、ありがたいことだ。

 ちなみに。

 木南晴夏は、すごかった。

 小泉響子という女子高生を、まるで原作から抜け出したかのように演じてみせる技量は、

 これ、並大抵なものじゃないっす。

 たしかに子役のキャスティングも見事だったし、美術もまた好かったけど、彼女には及ばない。

 ただ、これから他の作品で演じてゆくのは苦労するだろうな~ともおもっちゃうんだけどね。

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20世紀少年 第1章 終わりの始まり

2013年03月03日 03時43分56秒 | 邦画2008年

 ◎本格科学冒険映画20世紀少年 第1章 終わりの始まり(2008年 日本 142分)

 英題 Twentieth Century Boys 1: Beginning of the End

 staff 原作/浦沢直樹 監督/堤幸彦 脚本/長崎尚志、福田靖、浦沢直樹、渡部雄介 

     撮影/唐沢悟 美術/相馬直樹 主題歌/T・レックス「20th Century Boy」

     音楽/白井良明、長谷部徹、Audio Highs、浦沢直樹

 cast 唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 香川照之 佐々木蔵之介 宇梶剛士 生瀬勝久

 

 ◎1970年、大阪万博。

 新幹線ひかりに乗って、5月と8月に見学に行った。

 もうほとんど覚えてないんだけど、覚えてることのひとつが

「アメリカ館に行くときは、朝一番に行かないと何時間も並んじゃうぞ」

 っていわれてたことだ。

 映画の中でも、そんな台詞があった。

 台詞だけじゃなくて、当時、ぼくは映画の少年たちとほとんど同じことをしてた。

 家の前の空き地や、蔵元の瓶箱置き場や、電話局のドラム置き場や、銀行の廃屋に、

 やっぱり、大人の雑誌を持ち込んで秘密基地をつくった。

 あ、でも、映画に出てた「麻田奈美ブラジルで最後のヌード」はちょっと後の時代だ。

 神社やお寺で、くそったれのいじめっ子小僧を相手にケンカもした。

 BB弾のコルトで戦ったし、アトムや鉄人のどちらも好きでロボットの絵ばかり描いてた。

 みんなで、世界が悪人によって滅亡に追い込まれる漫画も描いた。

 Gペンに開明墨汁じゃなくて鉛筆に消しゴムで描いたんだけどね。

 夜の学校は怖かったし、鮒の解剖をした理科室は特に怖かった。

 学校の旧校舎や汲み取り式トイレには、決まって幽霊の噂が立って、

 荒れ放題の大きな空き屋敷に忍び込むと、たいがい不気味な絵が飾ってあった。

 アポロ11号が月面着陸したとき、

 横丁の串の屋台で、酔っ払いが「あんなもんはスタジオで撮っとるんだ!」と叫んでた。

 部屋の壁に貼った少年チャンピオン創刊のポスターも、ちょうどアポロ11号だった。

 ちょうど、付録で勝負してた少年や冒険王やぼくらが相次いで廃刊されてった時代。

 宇宙人襲来や氷河期突入や未来予想を特集していたのが、そうした月刊誌だ。

 ランニングシャツだけのガキはいっぱいいたし、シュミーズだけの女の子まで道端にいた。

 プロレスが好きで、メンコやコマ回しや草野球くらいしか遊びらしい遊びはなく、

 ボーリング場がぽつぽつと建てられ始めてたけど、そこはやっぱり大人の娯楽場で、

 雷魚を釣りに探検に出て、ウインカー付き自転車で駆け回り、

 校舎の窓から飛び降り、学校の北運動場の樹の下にタイムカプセルを埋めた。

 あのときのタイムカプセル、まだ埋まってんじゃないかな。

 中学生になって、給食の音楽がつまらないイージーリスニングだったもんだから、

 職員室のとなりの放送室を占拠して、好きな曲をかけまくり、進路指導室に連行された。

 初めて買ったギターはやっぱり情けなくもクラシックギターだったけど、でも嬉しかった。

 たぶん、日本中の男の子はみんな同じことをしてたんだろう。

 ぼくらにとってきらきら輝いていた忘れられない昭和40年代の夏は、

 まちがいなく常滑市や江南市や台東区とかでロケをしたこの20世紀少年の世界だった。

 とかいうことを考えながら見られる作品があっただけで、

 何十年も映画を見てきてよかったな~とおもえるんだよね。

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