京都市内の町内会の上部組織に自治連合会がある。昨日はそこの互礼会が元小学校であった。つまり名刺交換会。能の一説の披露があるあたりは京都、それにお正月の童謡「一月一日」年のはじめのためしぞて〜、を年配の人たちが集まる場で大まじめに合唱。というのも参加者のほとんどの人たちは、この小学校の卒業生達なんだ。一生生まれ育った街に棲む、それが京都固有の空気を形成しているのだろう。
さて話題は変わるが、この画像の通りにはお茶の千家、裏千家の茶室がある。それだけに今でも京都の通りの中では美しい街並みが続く。これが日本本来の風景だったと思われる。そんなことを考えると、現在までそのまま時間が止まっていれば京都の街全体が世界遺産になっていただろう。
考え方を変えて、これから100年後の世界文化遺産をつくる方法があるだろう。木造の建築技術はあるので、電柱を地中化し、商いの方法を再考し、地震や火災に強い、木造建築群による和の街並みをつくろうと思えば、今では十分可能な事である。今後そういうものが蓄積してゆけば、時間の風化とともに建築は落ち着いたたずいまとなり、魅力ある京都の街並みができるだろう。古いものを残すのも一方だが、現代のライフスタイルに合わせてハイテクノロジーを駆使して復元新築という方法だってあるだろう。
現に京都市の旧市街地は容積率を低減している。だから既存の高層マンションは、建築基準法上既存不適格になっている。立て直しの時は同じ容積率では建てられませんということだ。現在のようなスポット的な伝統的建造物群保存地区だけでなく、むしろ日本に一つぐらい街全体が日本固有の街並みとなっている、そんな姿が存在していてもよかろう。それが日本文化だと思うけど。
かっての京都の街、そして江戸の街、あるいは地方の集落などの古い写真や絵図をみると、それが至極あたり前であるかのようにも感じられ、実は私たちは昔から結構豊かな環境に棲んでいたのではないかとする仮説も浮かんでくる。
京都の街並みを少しずつ復興し100年後の世界文化遺産を目指す、それは初夢だろうか。
京都市上京区小川通
EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM
IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/8,1/250