通りの正面に、あるいは街に面と向かって寺の門を構える。そうした風景は、清水寺をはじめとして街中に多い。つまり寺の門から真っ直ぐ参道が続き、その参道沿いが商いで賑わうという構造だ。近代の参道型商店街は、まさにこの構造をしっかりと踏襲してきた。街の構造が変わるとともに商店は移動していったが、それでも街にむかってお寺の正面を向けていることに変わりは無い。
この画像の行願寺は、竹屋町通りの中心と寺の本堂の中心とがピッタリ合って入るぐらいだから、相当に通りを意識したも構え方だ。それだけにしっかり街のランドマークになっている。つまり空間的論理が明快だということである。
構えるというとこの時期は、大学センター試験が全国で一斉に開催される。お手伝いをする教職員が一丸となって構えるわけだ。
私も何度か試験監督で従事させられたが、全く拷問のような二日間。何が拷問かといえば、試験中なにもしないことである。何しろ携帯を持ち込むなはわかるが、内職するな、居眠りするな、咳するな、靴音立てるな、動くと衣擦れがうるさい、いびきがうるさい、呼吸がうるさい!、といった具合にあまり試験慣れしていない受験生から苦情がでるので何ももできないわけだ。
そして全国統一基準に基づき実施するので、試験監督者全員に渡される入試要項にそって忠実におこなうわけであり、試験開始に先立って該当教室の主任が行う入試説明も要項の台本通り1字1句正確に発音し他の教員がそれをチェックするありさまだ。それを全部の科目について同じ説明を行うので、説明する方も聞いている受験生もあきれた顔をしているし、私が担当した会場では上位大学の受験生が多かったためかどこか大人であり、お互いにご苦労様ですと優しい目線が飛び交っていた。
そうした教職員一丸となって行っているクソマジなぐらいに構えに構えたセンター試験で、どこかの大学でミスらないかなと虎視眈々と狙っているメディアがある。全くハイエナのような輩だ。NHKなどはハイエナの最たるものだが、幸い私の大学ではハイエナの餌になるようなことはこれまで一度もなかった。
大学は場所と人材を提供するだけであり回答結果はそのまま大学入試センターへ送られる。だからこちらはあとのことはシランぜよで大学には全く主体性がない。そうした大学センター試験も3年後には、新テストに変わる。どっちにしろこんな主体性のないことを大学で行う必要があるのだろうかといつも疑問に思う。それよりは受験生が通っている高等学校で行う方が受験生の負担が少なくてよいのではないか思いながら従事していた。この頃雪が降ることが多いのだ。
そういう今日の京都は、最高気温5℃、最低気温-2℃と終日寒かった。夕方から雨まで降り出し、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう〜、と鼻歌を混じりでホントに夜中に雪が降りそうな天気だった。明日は名古屋市内で新年会だ。先ずは酒を飲んで寒さをかわそう。それがこちらの冬の構え方さ。
京都市竹屋町通
EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
IOS400,焦点距離150mm,露出補正0,f/8.0,1/250