このブログも京都の画像が続き辛気くさい。せめて画像ぐらいは変えよう。
気分転換になる感動がないかと思ったら、あった。1988年代のJR東海とコカコーラのCMである。まぶしいぐらいの1988年の空気だし、あの時代を突き抜けて行くような明るさや元気さがあった。そういまの私たちの社会でないのは、そうした時代を突き抜ける明るさや元気さかもしれない。
つまり今の日本の現代社会がどこかしょぼいのである。京都の街を歩けば古材を利用した質素なカフェばかりで、それとて悪いわけではないが、今ひとつ明るい世界とはかけはなれている。だからいつまで地味にやってんだいと思わず口走りたくなる。落ち着いた地味なカフェでお茶しても気分は明るくならない。
もう少し観察すると実力者がいなくなった。パソコンの登場でだれでもライブラリーからイラストなどの素材を引用して、そこそこのポスターやWEB発信ができるようになったけど、誰でもがすぐにプロになることができ、それって小手先技だ。実はそんな小手先技に私たちはあきてきたのではないか、そして小手先技では、今の時代を突き抜けることはできないことに気がつき始めた。
CM制作をみても1988年代は実力プロが目白押しで大いにその能力をいかんなく開花させた時代だった。そうした人間達が時代を突き抜けてきたからこそ、今当時のCMをみても感動するわけだ。だが今はそんなプロ達がいなくなってしまい、みんなどこか素人くさい。いや素人くさく演出しているんですよといういいわけは、あたらない。それは実力がないことのいいわけなのだろう。実力者の顔をして実は非実力者ばかりというのが、いまの時代かもしれない。
今、絵の描けない下手くそなデザイナーは沢山いる。設計のできない人間が建築の仕事をしている。それが今の時代を形成している。だが、そんな小手先技の素人芸に飽きてきたことも事実。そろそろ実力を蓄えた者の登場を待ちたいと思う。そうでなきゃいつまでも日本が取り残されたようにしょぼくて質素で地味なのだ。
だからこそ時代を突き抜けるようなまぶしい明るさが欲しいと思っている。
沖縄県儀志布島カメパラダイス
OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8 mm/F1.8
ISO200,露出補正0,f/9,1/200